「塩釜FCの小幡さんという面白い人がいる」
そんな話を3年ほど前から聞いていた。しかし、私は忙しさにかまけて小幡さんにお会いする機会を逃し続けていた。
先日、Amazonで小幡さんの本を見つけた。
この本は、サッカーの指導に携わる方は読むべき一冊です。
「原石はたくさんあるのになんで消えていくんだ?」
そんな疑問をきっかけに、思考しはじめる小幡さんの頭の中の一端を知ることができる。
小幡さんの言葉はサッカーの本質、いや人生の本質が詰まっている。
本書で語られているのは日本サッカーの大きな課題と、それを解決するための小幡さんのアプローチだ。
本書の一部を抜粋してご紹介させていただきたい。
才能を見抜く力
イニエスタは日本で育たない
「プレースタイルがイニエスタのような子を見たことがあるんですよ。ところがその子はトレセンに選ばれなかった。なぜだかわかりませんよ。ボールを持ちすぎるとか、ボールを持ったとき遅いとか…
見つけられるやつはサッカーをわかってる。サッカーがわからねえやつは見っけられねえんだ」
その言葉には小幡の矜持がにじみ出ている。子どもの能力を見極める眼力への、小幡の絶対的な自信が、その言葉を口にさせている。 小幡が誇るのはサッカーを見る目であり、あまたの「上手い」サッカー少年の中から、ひとりのイニエスタを見出すための目だ。それは決してただ漫然とサッカーに携わっているだけでは身につかない。長い年月をかけ、数百人の子どもたちを育て上げた小幡だからこそ、イニエスタを見出す目を持つに至ったのだ。
自分がプレーヤーとして教えられてきたプレーを子どもに押し付けてる
「世界一流を育てるためにはね、世界一流ってものが何だかわかんねえとだめなんですよ」
小幡が口癖のように度々口にする言葉だ。子どもたちを育てる上での小幡の信念。世界一流の選手の本質を見極められる者でなければ、世界一流の選手を育てることはできないと小幡は考えている。
「一流のプレーヤーのレベルはどういうレベルなのってことを、指導者はちゃんとわかってなきゃいけない」
一流のプレーと常に接し、そして 40 年以上にわたって子どもたちの成長を間近に見続けてきたからこそ、小幡は子どもの才能を見極める目に自信を持っている。
そんな小幡だからこそ、日本のサッカー指導の現状にもどかしさを感じている。彼は明らかな問題点を目前にして、口をつぐんでいられる男ではない。
「結局ね、指導者の養成が遅れてるんですよ。ほとんどの指導者はね、自分がプレーヤーとして教えられてきたプレーだけを子どもに押し付けてる」
日本の指導者の中で「世界一流」を見極められる者は少ない。
サッカーは「We」でやる
監督と子どもの関係っていうのはトップダウンですよね、今までの日本の縦社会と同じで。一方的じゃないですか。日本の指導スタイルっていうのは受験勉強と同じ。こないだ何ページまでやった? 10 ページ? じゃあ 11 ページからね、って具合に、 10 ページがわかってなくても次に行く。サッカーでも同じことなんです…
『 We』でやるんですよ、塩釜FCではね。子どもたちと終わったばかりの練習について、ああだこうだって語り合う。
サッカーの本質とは何だろうか?
これが当ブログのテーマであるのだけれど、その一つの答えとして私自身も考えていることを小幡さんが言語化してくれた。
サッカーは「We」でやる
これが日本の育成年代の指導者には欠けていると私も感じています。
指導者が一方的にプレーを押し付けている現状がある。指導者が子どもたちの自主性を引き出せていないことに問題意識を感じているという点で非常に共感する
日本にも、原石はたくさんあるんです。
これをいかに育むか。
これを我々指導者、いや現代社会に生きる我々大人が考えていかなければならないのだと思います。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…