
「上手いのは、認めているんです」
その言葉から始まった、ある親御さんのメッセージが、ずっと私の中に残っています。
監督の子どもは確かに上手い。
努力もしている。
でも誰が見ても明らかに、扱いが違う。
同じくらい上手い子がいても、ポジションが被れば、その子はベンチに座る。
それ以上に上手い子がいても、
なぜか評価されない。むしろ冷遇される。
練習では、成功体験が積みやすいように
監督の子にばかり“機会”が用意されている。
気づけば、チームから上手い子たちが去っていった。
残ったのは、「このクラブは、あの人のものなんだな」という空気。
それでも、近所に他のクラブがない。
サッカーが好きな我が子のために、ここに通わせている。
「正直、しんどいです」
その一文に、グッとくるものがありました。
我が子を優遇する指導のもとで、
ほかの子どもたちは、何を学ぶのでしょうか。
サッカーは、競争のある世界です。
ポジション争いもある。
出場時間に差が出ることもある。
でも、その競争が「公平」に見えなくなった瞬間、
サッカーはサッカーではなくなります。
子どもたちは、技術よりも先に、大人の姿勢を学びます。
「どれだけ頑張っても、選ばれない人がいるんだ」
「上手さよりも、誰の子かが大事なんだ」
「信頼より、立場がものを言うんだ」
そんなことを、サッカーを通して学ばせてしまっているとしたら
それは、とても悲しいことです。
指導者にとっても、自分の子どもが可愛いのは、当たり前です。
でも、指導者という立場に立った瞬間、
その「当たり前」は脇に置かなければならない。
それができないなら、指導者を名乗ってはいけない。
少なくとも、育成年代に関わってはいけない。
子どもの育ちに対する、最低限の倫理の話です。
本当に怖いのは、露骨なえこひいきではありません。
「うまく説明できないけど、なんとなく不公平に感じる」
その“なんとなく”を、子どもは確実に感じ取ります。
そして、「信じていいのかわからない大人」に出会ったとき、
子どもはサッカーそのものから距離を取り始めます。
それは、才能が潰れる瞬間です。
気づけば、上手い子たちがいなくなったクラブ。
信頼がなくなった場所から、可能性のある子どもは去っていく。
残るのは、選べなかった子どもと、選ばせなかった大人。
クラブが、「みんなの場所」ではなく「誰かの所有物」になったとき、育成は終わります。
特定の監督を責めたいわけではありません。
ただ、こうした構造が見過ごされすぎていることに、私は強い違和感を覚えます。
「近所にクラブがないから」
「選択肢がないから」
そうやって、子どもと親が耐え続ける構図が、
当たり前になってしまっている。
それは、健全ではありません。
その監督に、そして、同じ立場にいる大人たちに、
こう問いかけたいと思います。
あなたのチームで、一番大切にされているのは誰ですか。
あなたの判断は、すべての子どもに、
胸を張って説明できますか。
もし、「これは我が子だから」という理由が、
一度でも混じるのなら、その時点で、立ち止まるべきです。
そして、親御さんへ。
あなたが感じているその違和感は、
気のせいではありません。
子どもが、安心して挑戦できない場所に、
無理に居続ける必要はない。
サッカーは、本来もっと自由で、もっと希望のある遊びだったはずです。
子どもが「好き」を失わないこと。
それが、何よりも大切です。
育成年代のサッカーが、どんな価値観を次の世代に手渡すのか。
その問いを、私たち大人が、