
身の回りで、「あの人は優秀だ」と言われる人たちは、みな、好奇心旺盛ではありませんか? 逆に、「何事に対しても無関心だけれど、頭がよい」という人はまずいないはずです。
ここで非常に大切なことは、人の心は本能を基盤にして生まれるという点です。このため、脳の本能が何を求めているかを知り、本能を磨くことは、探求心、向上心、貢献心、自尊心、友情や愛情を感じる心などを育むことにつながります。そして、心を育むことは、人間性を高めるのはもちろん、脳の機能を高めることにもつながっているのです。
つまり、育脳において大切なのは、脳のしくみにもとづき、「脳の本能を磨き」「心を育み」「機能を発達させる」ことを一体に考えて取り組むことであるといえます。そして、これこそまさに「社会の中で自分の才能を十分に発揮し、よい人間関係を築き、充実した幸せな人生を送る」ための子どもの脳の育て方である、といってよいでしょう。
「身の回りで、『あの人は優秀だ』と言われる人たちは、みな、好奇心旺盛ではありませんか?」
林成之さんのこの一文は、とてもシンプルだけれど、
どこか核心を突いている。
優秀さとは、知識量ではなく、
好奇心の量なのかもしれない。
サッカーでも同じだ。
うまい選手よりも、
“面白がれる選手”のほうが、長く伸びる。
なぜなら、
好奇心は、止まらないからだ。
本能は、静かに働いている
林さんはこう書いている。
「人の心は本能を基盤にして生まれる」
本能というと、荒々しい響きがある。
でも実際は、とても繊細だ。
知りたい。
触れてみたい。
やってみたい。
この衝動は、
子どもの中では自然に鳴っている。
サッカーのピッチでも、
それは小さな音のように響いている。
大きな音が、小さな音を消す
問題は、その音をどう扱うかだ。
効率。
勝利。
評価。
正解。
それらは、どれも大きな音だ。
間違いではない。
必要でもある。
でも、大きすぎると、
小さな音は聞こえなくなる。
「それはまだ早い」
「今はリスクを減らそう」
「まずは型通りに」
その正しさが続くと、
やってみたい、という衝動は少しずつ弱くなる。
脳を鍛える前に、心を守る
林さんは言う。
「脳の本能を磨き、心を育み、機能を発達させることを一体に考える」
脳を鍛える、という言葉は魅力的だ。
でも、その前にあるのは、心だ。
心が動いていなければ、
機能は深まらない。
サッカーも同じだ。
メニューは高度になり、
分析は細かくなり、
トレーニングは効率化されている。
でも、
その中で好奇心は、守られているだろうか。
遊びの中にある、創造
本能が磨かれている子どもは、
無駄なことをする。
意味のないフェイント。
誰もいないスペースへの走り出し。
失敗するとわかっている挑戦。
それは合理的ではない。
でも、そこに創造がある。
音楽でいえば、
即興に近い。
予定調和からは、
新しい響きは生まれない。
指導者という環境
指導者は、
音を出す人ではなく、
空間をつくる人だ。
どんな空気の中で、
選手が呼吸しているか。
恐れの空間か。
信頼の空間か。
好奇心は、
安心の中でしか育たない。
叱責の中では、
本能は閉じる。
選手へ
もし今、
サッカーが義務的な作業になっているなら、
少し立ち止まってほしい。
最初にボールを蹴った日のことを思い出してほしい。
理由はなかったはずだ。
ただ、楽しかった。
その感覚は、
まだどこかに残っている。
好奇心は消えない。
ただ、小さくなるだけだ。
才能は、
数値で決まらない。
才能は、
どれだけ好奇心を保てるかで決まる。
サッカーは、
脳を鍛える場所でもある。
でもその前に、
心を守る場所であってほしい。
大きな音にかき消されず、
小さな衝動が残る場所。
好奇心という、消えやすい火を、
そっと守ること。
それが、
サッカー選手にも、
指導者にも、
いちばん大切なことなのかもしれない。