為末大さんの価値観が好きです。
「努力は夢中には勝てない」という帯がついていました。タイトルも帯も素敵です。
「遊びから生まれる喜び」を原点にしてきた為末さん。名著『ホモ・ルーデンス』に共感し、同書を紐解きながら、スポーツと遊び、成長と遊び、「遊び感」の可能性について語っています。
「遊びながら学び、学びながら遊ぶ。僕自身のプロセスを振り返ると、面白いからやっていることが、自然と学びにつながっていた。ハードル競技も読書も「遊びのなかに始まって」いたのだ」
「僕自身は「スポーツの根本は遊びである」と思っている。そうした視点から考えるなら、自分から努力し鍛錬する「自発性」こそがスポーツに不可欠なのは当然のことと言えるだろう」
「「したい」と「しなくては」。その間にある、とんでもない差。「自発的でなければ楽しくない」ということは、「義務化されたとたんに楽しさは消える」ということでもある」
スポーツの根本は遊び。
自発性こそ不可欠。
忘れてはならないことであるのに、日本のスポーツの世界では、厳しい練習、歯を食いしばって努力することが最善であるとされ、遊ぶこと、楽しむことが悪であるかのように言われることがあります。
「厳しく指導してください」とコーチにお願いし、「楽しいだけならやめなさい」と子どもに言う保護者がいます。
「毎日のリフティング」を義務づけられ、泣きながらリフティングをしている子を見かけることがあります。「オフの日は自主練をしなさい」と自主練とはいえない自主練を強制する親がいます。
そこに、遊び心、自発性はありません。
「スポーツの根幹は遊びである」と言うと、日本では抵抗感を持つ人が多い
「遊び」と聞くと、と大方の日本人は、真面目の対極だと感じてしまうけれど、実際には遊びと真面目は共存しうる。一所懸命に子どもは遊ぶし、大人も大真面目に休日の趣味の時間を過ごす。遊びは決してふざけることではなく、むしろ我を忘れて何かに熱中することだと僕は思っている
厳しくしなくても、リフティングやトレーニングを強制しなくても、子どもの「好き」「楽しい」「遊び」を大切にし、熱中させてあげればいい。
我を忘れて熱中したとき、子どもたちは「キラキラ」としか形容できない表情で、頭をフル回転させサッカーで遊んでいます。遊びで磨かれた感性が、成長へと繋がるのは必然なのかもしれません。
「遊び」「喜び」は悪ではなく、そこから大きな可能性が開かれていくんだということを、大人が理解し伝えられたら、子どもたちはもっと変われるんじゃないだろうか、そんな風に思います。
プロフィール
サッカー少年の子どもを持つ母
子どもたちをもっと笑顔にするためには大人が変わらないといけない…
本には大人が変わるヒントがたくさん散りばめられています。
大人の心を育む本をご紹介していきます。
【こちらもおすすめ】