以前ご紹介した聖和学園サッカー部の加見監督が書いた本『聖和の流儀』。
加見監督のサッカーへの想いや教育の考え方が詰まっており、とても共感できる本です。
今回は本書の中に記されている加見監督の指導者としてのスタンスの部分を一部抜粋してご紹介させていただきます。
子どもたちの本音を引き出すスタンス
私の指導スタンスとして、私自身が力を抜きながら子供たちに接することを大事にしています。グラウンド上では子供たちに思いっきりサッカーを遊ぶように楽しんでもらいたいですし、こちらが威圧的になると、子供たち自身がどうしていきたいのか、その意見や考えを引き出すのが難しくなるので、できるだけゆるいスタンスで子供たちに接するようにしています。
ゆるく接することによって、子供たちの本音も引き出しやすくなります。子供たちには、指導者からの強制や押し付けがあると感じるのではなく、自分の意思で自分の好きなことをしているというくらいの感覚を持ってもらいたいのです。
そうしてその子の積極性や、その子なりの工夫、意欲的なチャレンジを引き出す環境にしたいと思っています。聖和学園に入ってきたばかりの1年生の子は、そうした環境に慣れないこともあるのか、なかなか自分を出せない傾向にあるし、自分の意思を表に出すのがうまくない子も中にはいます。
しかし、個性を自分から出せなければ、試合のパフォーマンスも上がりません。自分をなかなか出せない子供にはこちらから積極的に声をかけて、個性を出せるようにしてあげて、徐々に自分から個性を発揮できるように仕向けてあげます。
その際、表情を見ることも大事です。いい顔をしていない、と感じる子は勝手にサッカーをやるので放っておきます。一人ひとりの表情を見ながら、子供たちの様子を把握することが重要です。
サッカーは誰もが主役、ヒーローになれる世界でもあるので、自分からどんどん個性を出せるような選手になり、ボールを持ったら何かしてやろう、と言う意気込みが持てる選手になってほしいのです。
本当の厳しさとはなんなのかを指導者が知らない
個性が出てくるのをじっと待つと言うスタンスを保っているわけですが、このようなゆるい接し方で子供の個性をどんどん引き出そうとしていると、周囲からはこんな言われ方をすることがあります。
「きちんと指導していない」「適当な指導だ」「放任主義では子供たちをしっかり育たない」
お叱りを受けてしまうわけですが、こちらとしては適当な指導であるとか放任主義であるとか、そのような意識は全くありません。勘違いをしないでいただきたいのですが、「ゆるい=甘い」ではないのです。選手の個性を引き出した上で選手自身に常に考えさせることを要求していますので、むしろ「甘い」ではなくある意味「厳しい」ですし、それは「難しい」のです。
多くの指導者が勘違いしている部分がまさにここで、これは教育現場に限らず日本の企業の多くの役職者にこのような勘違いマインドがデフォルトになっていると感じます。管理職になればマネジメント能力が必要になりますが、マネジメントの本質を理解できない大人が驚くほど多いと感じています。
きっと学ぶ機会がないのだと思います。
加見さんのようなスタンスで指導されている方の存在を是非知ってほしいと思います。
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個を大切にする指導者に共通するもの
聖和学園は千葉のカナリーニョ、JSC CHIBAやヴィヴァイオ船橋、東京の町田JFC、滋賀のAZUL FC、福岡のFC NEOなどの個を大事にするチームと交流があります。
そういうドリブルを主体に個人技を大切にするU-15チームの指導者の皆さんに、聖和学園までチームを引き連れて練習試合に来てもらうこともあれば、逆にこちらが出向いて練習を見させてもらうこともあります。
そうした機会の中で、個人技を大切にするチームの指導者の皆さんに共通するものが見えてきました。どの指導者の方も子供たちを見守るように接していて、選手の良さを引き出すために、ここは怒りたいだろうな…と思う時もずっと我慢しているのです。
指導者が上から目線で怒鳴りつけて、押さえつけるように指導している人はほとんどありません。皆さんが子供を産む前まで下がって子供たちの話に耳を傾けていました。
自分のチームをもっとよくしよう、試合に勝たせようとはしていますが、それ以上に、子供たちの先を見据えて一人一人何か武器を授けようと、あえて我慢をしながら指導している方々が多く、非常に勉強になります。
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サッカーの本質を追求する旅はつづく…