「今日のグラウンドにもいたでしょ。サッカーをするのは子供なのに、自分が夢中になって叫んでいる親が。ここへ蹴れだの、あそこにポジションをとれだの、言ってる輩 が。それを教えてしまったら子供のためにならない、というのが彼らにはわからない。」
「母親の場合は難しいですけど、父親で叫んでいるようなのがいたら、サッカーに誘い込むんです。大抵そういう男は、自分も以前はスポーツをちょっと 齧っている場合が多い。でも今は遠く離れている。サッカーを経験していたとしても、時代がちがう。」
「グラウンドに立たせることができれば、しめたものです。その親の子供がやっているポジションにつかせて、あとは走らせる。厳しいパスを送ったり、ときには追いつけそうで追いつけないキツイやつをお見舞いする。そうすると大抵は気づくものです。やるのは、見ているほど楽じゃないって、あたりまえのことに。」
引用元:スパイクを買いに
はらだみずきさんの「スパイクを買いに」という全てのサッカー人にオススメしたい小説からの引用です。
子供のサッカーが大人の為のものになっている
少年サッカーの現場に行けば、必ずと言って良いほど目にするのが罵声を浴びせる大人の姿です。
自分の子供に期待する気持ちも、頑張ってほしい気持ちもすごくわかるんです。
でも、発する言葉が子供にどんな影響を与えるか、もっと考えて欲しいなと思うんです。
やれと言われたことをやらないと怒られるからやるという、 恐怖心でプレーしている子がほとんどで、外的要因によって動かされている子供が圧倒的に多い。
子供に恐怖心を植え付け、苦しみぬいた先に勝利があるんだと思い込ませる。
これが非常に効果的だから現場は変わらないんです。
これをやれば結果が出やすい。
サッカーは、自分で見て、感じ、考えて、実行していくものです。
子供たちが主体的にプレーできるようになるためにコーチがサポートしていく必要があるわけですが、ほとんどのジュニアサッカークラブ(少年団)の目的は目の前の試合に勝つことなんですね。その勝つための手段が、先回りして教えることなんです。
余計なことするな、言われたことだけ徹底してやれと…
その結果、試合で子供たちをゲームのコントローラーで操作するかのように大きな声で操る大人はそんなものです。
サッカーは教える前に、一緒に遊ぶことから始めるもの
こんな大人に伝えたいのは、はらだみずきさんの小説にあるように、サッカーを一緒にプレーすること、サッカーの本質を体感してもらうことも一つの手段だと思います。
なぜ、自分で考えてプレーしないのか?
なぜ、言われたことができないのか?
プレーしながら気づかせてあげること、そして一番大事になのは、最後にサッカーは楽しいということを気づかせることができたら、きっとその人は変わるのではないかと思います。
サッカーを教えようとするのではなく、サッカーを一緒にプレーしながら楽しみを、プレーする喜びを共有することが大事なんだと。
はらださんの「スパイクを買いに」を読んで感じました。
サッカーはもっと自由に楽しめるものです。
大人がもっと楽しくプレーできる環境を、
もっとサッカーの魅力を体現できる大人を増やさなければならない。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…