大人になってから学ぶサッカーの本質とは

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セルジオ越後さんの言う“遊ぶ”とは、何も教えないことではない

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子どもに何かを「教える」とき、

私たちはどこかで「ちゃんと理解させなきゃ」「早くできるようになってほしい」と思ってしまう。

できれば、すぐに成果が出てほしい。

うまくいかないと、つい焦ってしまう。

でも本当に大切なのは、

「教えること」よりも「待つこと」なのかもしれません。

「聞きにこない子とは、遊ぶ」

これは、セルジオ越後さんが実践している、子どもとの向き合い方です。
彼はこう言います。

「子どもは、いったん興味を持ったら、しつこいくらいにやる。

でもその“針”にかかるまでは、どんなに教えても、風のように通り抜けていく。」

だからこそ、無理に教え込もうとせず、

興味が湧くその時まで“遊ぶ”ように付き合う。

それが、子どもにとって最も自然で、力になる育ち方だと。

この言葉を読んで、私はハッとしました。

「教えること」=「育てること」と思い込んでいたけれど、

子ども自身の“やりたいスイッチ”が入っていない時には、

大人の言葉も技術も、まだ届かないんですよね。

教えることより、大切なことがある

子どもたちは、みんなちがうタイミングで興味を持ち、動き出します。

周りの子が上手くなっていると、不安になる。

親として、コーチとして、「何かしなきゃ」と思ってしまう。

でも、子どもが本当に動き出すのは、

誰かに教えられた時ではなく、自分の内側から「やりたい」が芽生えた時。

セルジオさんの「釣りに似ている」というたとえは、まさにその通りです。

糸を垂らし、静かに、信じて、待つ。

焦って引っぱれば、魚は逃げてしまう。

子どもだって、同じ。

そしてその時が来たら、

子どもはものすごい集中力で、自分からどんどん学んでいく。

まるで「もっと教えて」と、大人を引っぱるかのように。

「遊ぶ」と「教える」のあいだにあるもの

セルジオさんの言う“遊ぶ”とは、何も教えないことではありません。

教えようとしないという“姿勢”のこと。

「今はまだ、その時じゃない」と見極めながら、

その子が興味を持つ日まで、信じて寄り添い続けること。

これは、実はとても難しいことです。

でも、子どもにとっては何よりの安心になる。

「この大人は、急かさない」「ちゃんと見てくれてる」

そう感じられるからこそ、子どもは自分のペースで伸びていける。

子育てに、正解はない。でも“まなざし”は選べる。

子どもが育つには、「時間」が必要です。

その時間をどう過ごすかは、親や指導者の「まなざし」によって変わります。

焦ることなく、急かすことなく。

「教えよう」とする前に、「この子の興味はどこにあるのか?」と、静かに問いかけてみる。

そんな大人の存在こそが、

子どもにとって“動き出す準備”になるのかもしれません。

▼もっと深く知りたい方へ

この記事は、

セルジオ越後さんの著書『子育つ論』(PHP文庫)

で語られている内容の一部をもとにしています。

特に印象的だったのは、

「聞きに来た子には教える。聞きに来ない子とは、遊ぶ。」

という考え方。

この一文に、子どもとの関わり方の“本質”が詰まっていると感じました。

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興味が針にかかったその時、

子どもはきっと、自分の力で前に進んでいきます。

その日まで、そっと見守る。

そんな“育てない育て方”が、子どもにとって一番の土壌になるのかもしれません。

keikun028.hatenadiary.jp