天才と呼ばれたサッカー選手、小野伸二さんの著書『GIFTED(ギフテッド)』。
人々を魅了するテクニック、それはどのように育まれたのか、どんな環境で天才は生まれたのかが知りたくて手に取りました。
幼少期から良い指導者、大人たちに育まれてきたからこそサッカー選手になれたという小野伸二さんのエピソードは、大変興味深く読ませていただきました。
その中で、今の子供達を取り巻く環境についての言及を一部ご紹介させてください。
プロになって、特に最近なんだけれど、当時の僕と同じような年代の子たちと接することが増えた。例えばそれがサッカー教室だとすると、僕は絶対にこの子たちの目を「キラキラ」させてやろう、と思う。サッカーって楽しい、また明日もサッカーがしたい、そう思ってもらえるように、サッカーがもっと好きになってくれるように…
サッカーで人々を魅了してきた人が、子どもたちに夢を与える
僕は絶対にこの子たちの目を「キラキラ」させてやろう、と思う。サッカーって楽しい、また明日もサッカーがしたい、そう思ってもらえるように
このコメントが小野伸二さんの本質を捉えているように思います。
自分自身がサッカーが大好きで、子どもたちにもそうなってほしいと。彼のプレーを見ていても、著書を読んでいても、本当に純粋にサッカーが大好きなんだなというのが伝わってきます。
サッカーは最高の遊び、そう思わせてくれる大人が、サッカーに夢中にさせてくれる大人がやはり大事なんだなと改めて思いました。
こんなテクニック目の当たりにしたら、もうサッカーしたくてたまらなくなるよね。
どこかやりすぎ、教えられすぎな気がする
ときどき思うのは、今の子はちょっと教えられすぎじゃないかな、ということ。昔と今ではサッカーのトレンドが大きく変わって、走れる選手、戦える選手が重宝される。戦術理解力も重要だ。いろいろなトレーニングをして、いろんなスクールに通って、さまざまな指導者に教えてもらうことは確かにレベルアップにつながるんだろうな、と思う。
でも、どこかやりすぎ、教えられすぎな気がしている。
あの、ドキドキしながらカーテンを開けるときの気持ちを知らないんじゃないだろうか、って。
サッカーが習い事になり、公園や校庭でサッカーができる環境が少なくなり、クラブチームやスクールに入れないと、サッカーをプレーする機会が得られない。
クラブやスクールは、基本的にサッカーを教育する。そんな子どもたちを取り巻く環境は、どうしてもやりすぎ、教えられすぎになってしまうのかもしれません。
サッカーを楽しむための余白が必要
月火水木金土日、毎日どこかで誰かに教えてもらうサッカーがあって、自分で楽しみを見つけたり、考えたりする時間がない。実は、自分で見つけ出した「楽しみ」こそが、ずっとサッカーを好きでいられて、もっとうまくなりたいと思える原動力になるはずなのに……それができていないんじゃないか、と思うのだ。
間違いなく言えるのは、サッカーを好きでいることはすごく大きな力になるということ。子どもたちと接すると、その気持ちを育めるようになるといいな、といつも思う。
サッカーを教えられる人って、教えるべきことを、教えるべきタイミングで教えられる人だと思うんです。 子どもに上手くなってほしい、上手くさせたいという気持ちはとても伝わるのですが、先回りして教えてしまうこと、1から10まで教えてしまうことで大切なものを失っていることに気がつかないコーチをたくさんみてきました。 教えすぎると、なにを失うのでしょうか。 それは、好奇心と自発性です。 先回りして教えてしまうと、教わる側が自分で発見する喜び、成長する喜びを失ってしまいます。 成長のタイミングも成長の仕方も人はそれぞれ異なります。 だからこそ難しく、面白いんです。 教えるのが上手い人は、決して教えすぎません。
先回りして教えることで失われてしまうもの - 大人になってから学ぶサッカーの本質とは
サッカーには余白が大切である 監督やコーチは簡単な概念だけを提示して、あとは選手に任せてしまう。ルールや規則でしばりつけると、工夫しなくなってしまうからです。ちょっと上手くいかないときに、さらっと手本を示したり、助言をする。答えをすべて示すようなことはしません。ドリルを一から十まで指図したら、この国の子どもたちは退屈してしまうでしょう。 アルゼンチンの社会は考えてみたら余白だらけでした。日本のような24時間ストアはなく、電車やバスはすぐ遅れる。試合の時間もころころ変わる。そんな中で暮らしていると、様々な事態を想定して動く癖が勝手に身につくのです。
サッカーの育成にはもっと余白が必要。子どもたちに余白がなさすぎる問題 - 大人になってから学ぶサッカーの本質とは