ブラジル人コーチのジョゼがある日、私にこんな質問をしてきました。 「ブラジルのクラブでは、コーチや選手たちがスラム街に行って、スラムの子どもたちとサッカーをするよ。終わってから、僕らが子どもたちに何て言うと思う?」
私は、そんなこと、決まってるでしょ、と思いました。「みなさん、がんばってね。がんばったら、僕らのようにプロになれるよ、って言うんでしょ?」
ジョゼはにっこり笑って、首を横に振りました。
「今日はみんな楽しかったね。サッカーができて良かったね、またやろうねって言うよ。
池上正さんの著書「少年サッカーは9割親で決まる」より引用
プロになるためにサッカーをするわけでも、上手くなるためにサッカーをするわけでもなく、楽しむためにサッカーをする。この原点を思い出さないといけないように思います。
楽しくサッカーをすることがスタートで、楽しくて夢中でやっていたら、いつの間にか少し上手くなって、もっと楽しくなって、もっと上手くなりたいと思うようになって、競技思考になっていく子がいて、そうじゃない子がいる。
でも、多くの場所でそうなっていないように思います。上手くなるためのサッカーしかない。
放課後に校庭でサッカーで遊べない、公園もボール遊び禁止、友達とサッカーしたくてもクラブやスクールに入らないとサッカーできない。
クラブやスクールは、コーチがいて上手くなるためのサッカー、成長するためのサッカーになってしまう。そうではないクラブやスクールは少数。
大人の管理下ではなく、子どもたちだけでつくるサッカーという遊びの世界が少なくなっています。
それは何のための時間?という問いが現代社会からは出てきそうだけれど、上手くなるため、成長するためという外部から強要される目的ではなく、子どもたちに内在する好奇心と遊び心を発散する場がもっと必要なのではないかと思うのです。
サッカーは本来、楽しむためにプレーするものです。
楽しむためにプレーする場があってはじめて、上手くなるためのサッカークラブ、スクールがあるはずなのに、今はサッカーを楽しくプレーするための場が、クラブやスクールに入らないとなくなってきている。
そんな子どもたちを取り巻く社会の変化をキャッチして指導できるコーチは貴重で、未だに子どもたちよりも、目先の勝利を優先して選別するクラブは多い。
「楽しくやりたいなら公園で友達とサッカーやっとけ」
その言葉がどれだけ理不尽で無責任か。
サッカーコーチが社会と繋がらないと、こうなってしまう。
楽しくサッカーしたいだけなのに、お金を払ってクラブやスクールに入っても、選別されて、振るい落とされていく。
頑張って上手くならないとサッカーを続けられない。
私はこれが健全とは思えない。
でも、じゃあどうすればいいのか教えてくださいって言われます。
校庭で子どもたちが遊べる時間をつくりませんか?
ボール遊びしてもよい公園を増やしませんか?
サッカーが強い国を目指す前に、サッカーをもっと楽しめる国にならないとと思います。
「サッカーをプレーする人の幸福度」ランキングは日本は世界で何位くらいになるのだろうか? 私はサッカーを心から楽しめている人の数が実は少ないのではないかと感じることがある。とりわけ育成年代のサッカーを観ていても、草サッカーをしていても、常に組織でプレーする為に個人を抑制しようという感覚の人間が多い。楽しむより、キッチリやる。という”遊び”より”仕事”のような感覚。これじゃ楽しめない。 抑制と解放のバランスがサッカーである。
サッカーを楽しめないならやめた方が良い。 - 大人になってから学ぶサッカーの本質とは
月火水木金土日、毎日どこかで誰かに教えてもらうサッカーがあって、自分で楽しみを見つけたり、考えたりする時間がない。実は、自分で見つけ出した「楽しみ」こそが、ずっとサッカーを好きでいられて、もっとうまくなりたいと思える原動力になるはずなのに……それができていないんじゃないか、と思うのだ。 間違いなく言えるのは、サッカーを好きでいることはすごく大きな力になるということ。子どもたちと接すると、その気持ちを育めるようになるといいな、といつも思う。
小野伸二選手の著書『ギフテッド』より、「今の子供は教えられ過ぎじゃないか…」 - 大人になってから学ぶサッカーの本質とは