河内一馬氏の「競争闘争理論」より、サッカーにおける技術と日本における技術の捉え方についての考察が面白かったので紹介したい。
日本の美術教育はデッサンに異様に執着することもあって、現代の日本人は総じて絵がうまくなっています。
つまり、日本の頼るべき資産は技術で、欧米の頼るべき資産はアイデアなのです。
日本は技術があるので低価格でいいものができる基盤ができています。そこに目をつけるべきかなぁとは思います。
階雲に「日本はすばらしい」と言うのは反対ですが、日本の特色を気にして、うまく運用するべきだ、とは思うのです。
村上隆さんの「芸術起業論」より引用
日本人の技術
日本は、技術の国である。ここで詳しく説明するまでもなく、日本という国は「技術」という点で他国と大きく差を付け、多くの領域で発展を遂げてきた。
サッカーというゲームにおいてもそれは例外ではなく、サッカー後進国でありながら、日本人プレイヤーの平均的な技術レベルは驚くほど高いものである。アルゼンチンに行き、私はそれを確言した。サッカーの世界では、技術を「テクニック」と「スキル」にわけ、ゲームの文脈で実際に発揮する技術のことを「スキル」と呼ぶ。「日本人はテクニックがあるが、スキルはない」などと外国人が表現する場面をよく目にするが、これはつまり、私たちが「競争的思考態度」でサッカーをトレーニングしていることを意味し、「影響」に軸を置いていない証拠である。よく言う「実際のゲームで使える技術」とは、「闘争」ゲームにおいて相手プレイヤーに影響を与えられるか否かによって決まり、「競争」にはその概念は存在しない。
サッカーにおける技術とは?を学ぶ必要がある
私自身、小さい頃からボールを自由に扱うことを意識し過ぎたように思います。学校の校庭や公園で日が暮れるまでみんなでサッカーをして遊んだ記憶と同時に、日が暮れるまで一人でリフティングやドリブルの練習もやっていた記憶がある。
今振り返ると、一人で練習するよりも仲間と遊びながら技を磨く時間をもっと取れたら良かったなと思う。
中南米に一人旅をしたとき、どの街に行ってもボール扱いは誰よりも自信があったし上手かったと思う。でも、リフティングやドリブルが私よりも上手くなくても、活躍して結果を出す選手は何人もいた。
私には衝撃だった。
なぜならボール扱いが上手いやつがサッカーが上手いと思っていたから、なかなか自分より彼らのほうが上手いと受け入れられなかった。
サッカーが上手いっていうのはボール扱いが上手いとイコールではない。それはほんの一部の要素なんだと、大人になって海外を旅している時に確信に変わった。
オフザボールの動き、それは立派な技術です。
ボールが足元に来る前に、首を振って周囲の状況を見て、把握した上で次のプレーを選択する技術。
ボールを自由に扱う技術以上に、日本人にとっては重要だと思います。
なぜならサッカーとは団体闘争であり、集団の中でプレーするコミュニケーションゲームだから、我々日本人はサッカーをそのように捉えることはできていなかったから。
チームの中でどう技術を定義するか、それが弱いから。
サッカーにおける技術を改めて問い直してみてほしいと思います。
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