アルゼンチンといえば亘崇詞さん。
名門ボカジュニアーズに所属した経歴があり、アルゼンチンサッカーを熟知した方である。その亘さんの著書、アルゼンチンサッカーの思考力 という本がとても面白いのでご紹介したい。
日本のサッカー文化を育んでいく為に、「育成」はとても重要なことです。アルゼンチンの「育成」について触れている部分を下記に引用させていただきます。
「創る」ではなく「引き出す」
アルゼンチンの指導者に育成について聞いたときの話。
「僕たちはタレントを創るなんてことは考えていないよ。せいぜい、才能を引き出すお手伝いをさせてもらっている、それくらいのことなんだ」
育成というと、子どもにエリート教育を施すというイメージが浮かびますが、アルゼンチンには日本人が思い浮かべる育成の形はありません。「創る」ではなく「引き出す」。これがすべてなのです。
アルゼンチンにいたころ、指導者から怒鳴られたこと記憶はほとんどありません。できることをせず、周りの足を引っ張った時には怒鳴られますが、彼らはふらっと現れてヒントを与えてくれる存在でした。
「育成」というと、育てる、とか教育するというニュアンスがあります。
ジュニア世代の現場を見ていると、子どもたちにかなり細かく、熱心に指導する光景を見ることがあります。「うちのクラブでプロ選手を育てる」と、熱量の高いクラブもあるわけですが、この考え方が行き過ぎてしまうのもどうかなと思うんです。
「創る」ではなく「引き出す」。これがすべて
私もこの感覚がとても大切だと思います。
教え過ぎて、発想を奪ってしまったり、自由を制限することで失ってしまうことは多いと思います。育成年代の指導は、それほどセンシティブなのです。
サッカーには余白が大切である
監督やコーチは簡単な概念だけを提示して、あとは選手に任せてしまう。ルールや規則でしばりつけると、工夫しなくなってしまうからです。ちょっと上手くいかないときに、さらっと手本を示したり、助言をする。答えをすべて示すようなことはしません。ドリルを一から十まで指図したら、この国の子どもたちは退屈してしまうでしょう。
アルゼンチンの社会は考えてみたら余白だらけでした。日本のような24時間ストアはなく、電車やバスはすぐ遅れる。試合の時間もころころ変わる。そんな中で暮らしていると、様々な事態を想定して動く癖が勝手に身につくのです。
これを読んで、日本の子どもたちには余白が少ないなと思いました。サッカーに限らず、過剰に教え込む指導者や先生、親がとても多いと思います。習い事で埋め尽くされ、1日のほとんどがやらなきゃいけないことで埋まってしまっている子どもがとても多くなったと思います。子どもに限らず、大人社会も余白が少ないでしょう。あれもこれも〜しないといけない!に埋め尽くされている人が多いのではないでしょうか。
サッカーにおいて余白が大切なように、人生にも余白は必要だと思います。それをまずは理解して、余白をつくることからはじめていかないといけないのかもしれません。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
- 作者:ボカジュニアーズ・フィリアル・ジャパン
- 出版社:池田書店
- 発売日: 2017年01月16日頃