大人になってから学ぶサッカーの本質とは

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子どもがプロフェッショナルファールを理解している国とそうでない国を分けるもの

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以前、「理不尽な社会に適応させるために、サッカーが犠牲になっている」という記事でご紹介させていただいた日本からドイツに移住したNさん(サッカーママさん)とやりとりをさせていただいているのですが、毎回示唆に富んだ内容になるんです。

このNさんとのやりとりを紹介させていただきながら、タイトルにあるテーマで書いていきたいのですが、本題に入る前に、日本とドイツのルールや規則の捉え方の違いについての話から読んでください。本テーマを理解する為の重要な部分になります。

 

ルール・規則の捉え方の違い

私は日本は世界でトップクラスのルールと規則がある国だと感じています。そして年々それが厳しくなっている気がします。

それによって人への影響(とりわけ子供達)は大きくなってると思うんです。

子供の思考力の低下と、感じる心の低下に繋がっている気がしてなりません。


ドイツは欧米の中ではルールや規則を重んじる国だと思います。それが日本と似ていると言われる要因である気がしますが、暮らしてみると日本とは全く違うと感じます。

日本はルールにフォローする=従います。

ドイツはルールは従うものではなく、自分が動くために動きたいから動ける範囲を知りたい=ルールを知りたいのです。(そのように感じます)

つまり自分自身をコントロールするためのものですね。ルールを受動でとるか、能動的な材料でとるかでかなり違うと感じています。

プロフェッショナルファールを理解するドイツの子供

また日本は教育の影響もあり、物事を機械的に良い事悪い事で判断するので柔軟性がない=ファールに手厳しい。

ファールに手厳しいと、、プレーにも影響するのでは?と感じます。結局サッカーのルールもサッカーをするためにという能動的な部分を支えるもので、規律が保たれて選手の能力が最大限に発揮され質の高いプレー=試合になるためにあるのでは?と思うのです。。

もう一つ、ドイツの子供達は、プロフェッショナルファールの認識が日本の子供よりかなり早くからしっかりあります。割と小さい子供が「あれはファールしてでも止めるべきだ」等々いうので。これもファールの捉え方の差=ファールはサッカーの一部だと感じる部分でもあります。

日本は色々な事においてルールや規則が制定された意味=本質を見失う傾向にあると感じています。そこにしっかり目を向けるようになれば色々な事が変わると思いますし、ルールや規則で統制するより思考力と感じる心を育てる方がいいと気が付く気がします。。

私も長く日本の育成年代を見てきましたが、プロフェッショナルファールを理解し、適切にプレーできる子どもは本当に少ないなと感じています。その理由をNさんのメッセージを踏まえて書いておきたいと思います。

大人がサッカーを知らない

まず、日本の場合はサッカーを指導する大人がサッカーを知らないという課題が未だにあります。プロフェッショナルファールってなに?という指導者もきっといますし、これを適切に教えられる指導者も多くないのではないかと思います。

なぜそうなっているのかというと、サッカーを見る機会が少なく、プロフェッショナルファールを知る機会が少ないからです。

そして見るだけでなく、なぜそうなるのか?なぜそれが起きるのか?と思考をする習慣があまりないというのも弱い部分なのかなと感じます。

サッカーを見る機会が少ない

私が訪れた中南米、スペインでは街中にサッカーがあります。レストランやバルに行けばサッカーが見れます。彼らはサッカーを見る機会が多く、サッカーを知る機会が多いのです。でも日本はそうではありません。テレビでサッカーを見る機会は少ないし、サッカー観戦に訪れる人も多くありません。「見る力」は「見る機会」に比例します。

教育文化と国民性

そしてNさんが言うように、教育文化の差があると思います。

日本の場合、ルールや規則が絶対的なものであるという捉え方がされているように思います。

例えば「ボール遊び禁止」のルールはなぜ生み出されたのかというと、そのほとんどが「迷惑だから」これだけで禁止になってしまいます。

では、迷惑にならない時間帯はあるのか?という思考にならないし、迷惑にならないように遊ぶルールにまで思考が及ばず、「禁止」になります。管理者が絶対的で対話がありません。一方的に「禁止」になる。そしてそれに仕方がなく素直に従ってきたわけです。

これはつまり僕達が受けてきた教育の影響だと思うんです。

ディスカッションの機会もほぼなかったし、コミュニケーションの重要性を十分に学んでこなかったように思います。

お上の言うことが強く、年功序列、同調圧力が生まれやすい教育文化が、サッカーの本質を遠ざけていると感じています。

 

サッカーは私たちの社会の中にあります。

サッカーの課題の多くはサッカーそれ自体にあるのではなく、私たちが営む社会の中にあります。社会課題に無関心では、サッカーも変えていくことはできないと感じるようになりました。

サッカーを良くしていくために、社会に関心を持つことから始めていかなければなりません。

少しづつ。

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