「サッカー少年団の」と書いたけれど、これはサッカー少年団に限らず、あらゆるチームに該当するかもしれません。もっと言えば、サッカーに限らず、あらゆるスポーツに該当する話だと思います。
サッカー育成年代に関わる指導者や保護者の方から、クラブの闇、指導者の問題など、色んな話を聞きますが、SNSを見ていてもリアルな投稿を目にします。
他学年だけど、うちのスポ少、5年生だけ人数多くて実力ABで2チームに分けてた。ほぼ2年間入れ替え無し。でも試合数は明らかにAの方が多いし、Bはオフの日はコーチ無しで自主練と。
— まる (@e9JDkaOH6zYRKQy) 2024年1月21日
高学年になりBの子達が塾に行くとか他のスポーツをやりたいとかで退団。2チーム出しするほどじゃなくなって…続く
合併。
— まる (@e9JDkaOH6zYRKQy) 2024年1月21日
活動してみたらBのスタメンの数人は明らかにAの子より上手い。そして下剋上。
AB入れ替えも無い中Aに甘んじてた子よりBで頑張ってたこの方が2年間で明らか伸びてた。
AB出しを否定するわけじゃ無いけど一度下に見た子達を見捨てちゃだめだ。子どもたちは全員可能性の塊と思ってほしいな。
これは、子どもにとって機会の不平等、体験格差といえる話だと思います。
そして実力でABを分けた結果、中長期で下剋上が起きたというくだりは示唆があります。それはつまり指導者の”見る目”であり、”運用”であるとも言えます。
見る目とは、”今”目先の勝利にフォーカスするか、”伸び代”にフォーカスするかの違いかもしれません。もし後者であれば”運用”を誤った可能性が高い。
運用とは、ABに分けて機会の不平等、体験格差をつくってしまったこと、Aより上手い子がBから出てきたこと、詳細は不明ですが、Aを指導している指導者によってAの子たちは何かを得た代わりに何かを失った可能性が高い、そのために下剋上が起きたという見方もできます。
この現象はジュニアサッカーに長年携わってきて往々にしてあることを知っています。
Yahoo!知恵袋でもこんな投稿がありました。
これはクラブに携わる指導者を含めた大人の価値観の問題だと思います。
古い価値観を元に運用されており、それが経年劣化していることに気がつかない。
本質を見ることができず、問いを持つことすらできずに、ただ倣ってきただけ。
現場はそれではもうダメだと思います。
この経験から学び、次のステップへ踏み出せるような大人が子供の未来をつくれるのではないかと思います。
ABチームを分けることが悪なのではなく、機会の平等、体験格差をなくす、という運用ができれば、子どもたちにとっても喜ばしいことなのではないかと思います。
勝たないとダメ、それは大人が思うのではなく、子どもたちが体験を通じて感じ、育んでいく気持ちです。大人の価値観を押し付ける指導ではなく、これからは子供の心に火がつくための環境設計、体験設計が大事なのではないかと思います。
月火水木金土日、毎日どこかで誰かに教えてもらうサッカーがあって、自分で楽しみを見つけたり、考えたりする時間がない。実は、自分で見つけ出した「楽しみ」こそが、ずっとサッカーを好きでいられて、もっとうまくなりたいと思える原動力になるはずなのに……それができていないんじゃないか、と思うのだ。 間違いなく言えるのは、サッカーを好きでいることはすごく大きな力になるということ。子どもたちと接すると、その気持ちを育めるようになるといいな、といつも思う。
小野伸二選手の著書『ギフテッド』より、「今の子供は教えられ過ぎじゃないか…」 - 大人になってから学ぶサッカーの本質とは
先日、とても悲しい話を聴きました。 U-10の地区大会での出来事です。 2日に分けて行われる予選リーグ初日。 その日は2~3試合の予定だったそうです。 1分も出場機会がないこどもたちが、いたそうです。 それもひとりではありません。 これをきくと、何人もメンバーがいるのかと思うかもしれませんが、 8人制サッカーの13~4人の中での話です。 それを聞いてとても悲しい気持ちになりました。 いよいよ楽しみにしていた地区大会。 今日はがんばろう!と会場に向かっても、1度も出場することなく帰路につく。 こんな小学生の話になんの疑問ももたない大人にはなりたくない
1分も出場機会がないこどもたちの話。試合に出る機会は全員に与えられなければいけません。 - 大人になってから学ぶサッカーの本質とは