サッカーコーチとして小学生低学年を担当していた時、こんなママさんがいました。
「うちの子の走り方見てください。運動音痴だし、サッカーなんて向いてないと思うんですけど、本人はやりたいって言うので来てみたんですが大丈夫ですか?」
このように言う親御さんは結構多いのですが、このママさんは親同士の会話でも結構頻繁に子供を下げる言葉を使っていました。会話を盛り上げる時に自分の子供をネタに使うパターン結構あります。
その親御さんの子供はチームに入ってくれたのですが数ヶ月経つと、
「どーせ無理だもん」
「向いてないってママから言われてるから」
ミスをすると、こういうことを言うようになりました。
子供の前で、子供のことを「向いてない、下手くそetc」などと言い続けると、子供の自己肯定感が失われます。
サッカーで教育されることを期待する親御さん
その子の親は、自分の子には強い子になってほしい、ダメ出しをされても強い気持ちでやれるならやればいいという感覚です。コーチとして対話をする中でそんなスタンスが伝わってきました。
私はこのように伝えていました。
「〇〇(お子さん)の前で、向いてないとか下手だとか言わないでくださいね。まずはサッカーが好きになることが大事で、彼から”やりたい”が出てきてからフィードバックをしていきましょう。僕らコーチもそうしていきますから」
でも、そんなに簡単に伝わらないんです。
練習が終わって帰る時、親御さんが子供にどんな声掛けをしているか耳に入ることがあります。
「楽しかった?」
「どんなプレーできた?」
と笑顔で迎える親御さんもいれば、
「またミスしてたね、ちゃんと練習しないとダメじゃん」
「なんで追いかけないの?やる気ないならやめさせるよ」
まだ、サッカーを始めたばかりの子供に、ふさわしい言葉と、ふさわしくない言葉があると思います。
教育のためにサッカーをやらせる親御さんの多くは、子供がサッカーを楽しくプレーするという感覚が理解できず、一生懸命、必死に、上手にやっている姿を求める傾向が強いです。
対外試合の時に、子供の好奇心を壊すような表現を使ったその親御さんに「彼にはまだ厳しい言葉は早いと思うので…」という話をした時にこのように言われたこともあります。
「家庭の教育方針なので…」
ジュニアのサッカーコーチって難しいなと思いました。当然僕ら指導者の力不足もあったかと思うのですが。
サッカー向いてなくてもいいし、下手でも全然いい
どんなにサッカーが下手でも、その子が楽しいことが一番です。サッカーが上手い子、下手な子は当然差が出ます。だからといって一緒にプレーできないわけじゃありません。チームの戦力を分けることで差が出ないようにする、レベルで分ける。このようなオーガナイズは子供たちでできるし、できなければ指導者がやればいいだけの話です。
サッカーが向いてなくたって、下手だって問題ありません。そんな子でも少しづつ上手くなるし、遅咲きで高校生くらいになって急に上手くなってプロになるかもしれません。そういう可能性があることを大人は理解しておく必要があると思います。
子供の可能性を奪う大人になってはいけないと思います。
子どもが成長するに従い、学校の成績やテストの点数といった結果が気になりだします。そして、それらが親の希望する基準に到達しないと、勉強量が足りないなど、時間に焦点が移ります。才能を引き出すといった視点はもはやなくなり、目先の“数字”が気になり、家庭内で“管理教育”が強化されていきます。
しかし、そうして一時的に勉強させることはできても、子ども自身が自らやる気になっての勉強ではないため、継続しません。そうした姿を見た親は、なんとか継続させようと、子どもの短所、欠点を見つけ、それを是正させるべくあれこれ口を出します。“監視教育”が始まっていくわけです。
このように育てられた子が、固有の才能を発揮することはかなり難しくなる