サッカーは生き物のように生態系がある
アルゼンチンのサッカーに感化されすぎた人が、「サッカーは戦いだ。日本はヌルい。もっとサッカーの激しさと厳しさを伝えて、強い人間にしなければならない」などと言う。
自分もそういう時期があった。日本のぬるま湯で生きる子供達に球際の激しさを要求し、「もっと戦え!」と追い込んでいたこともあった。
時にこういう刺激は大事だとは思う。
でも、いまはきっとこういうアプローチはしない。
アルゼンチンと日本は根本的にサッカーという生態系が違う。
アルゼンチンは世界を勝ち取った独自のフィロソフィやメンタリティが土地に宿っている。
日本は世界を勝ち取った経験もなければ世界で勝つ為の独自のフィロソフィというものを未だに見いだせていない。
日本には日本サッカーの生態系がある。文脈が違うのである。
だからこそ、アルゼンチンと同じアプローチをしてはいけないのだと思う。
私は、”強さ”とか”上手さ”よりも先に”プレーする喜び”、サッカーをする喜びがなければならないと感じている。日本にはことさらこれが欠けていると思う。
”強さ”とか”上手さ”に捉われすぎている
多くの人が”強さ”とか”上手さ”に捉われすぎて、サッカーそのものの楽しみ方や喜びを忘れてしまっているような気がする。
特に育成年代のサッカークラブは勝利よりも大切なことが絶対的にあるはずだ。
強いとか弱いとか上手いとかよりも、大切なことが絶対ある。
私は競技としてのサッカーが発展する以前にサッカーの楽しみを、プレーする喜びをもっともっと感じさせてあげなければならないと思う。
教える前に自分が楽しめ!と思う。
Olha só a garotada da #SeleçãoSub17 mostrando habilidade durante o treino!
Posted by Confederação Brasileira de Futebol on 2015年10月12日
サッカー幸福度
「国民の幸福度」という指標が以前流行った。では
「サッカーをプレーする人の幸福度」ランキングは日本は世界で何位くらいになるのだろうか?
私はサッカーを心から楽しめている人の数が実は少ないのではないかと感じることがある。とりわけ育成年代のサッカーを観ていても、草サッカーをしていても、常に組織でプレーする為に個人を抑制しようという感覚の人間が多い。楽しむより、キッチリやる。という”遊び”より”仕事”のような感覚。これじゃ楽しめない。
抑制と解放のバランスがサッカーである。
少年サッカーを観ていても、大人のエゴに支配されてしまう光景には顔を覆いたくなるし、自分の感情を殺してプレーするガチガチに固まった子供達の動きを見るたびにこう思う。
「サッカーを楽しめないならやめた方が良い」と
子供の感性を殺してまで、子供の意思を抑制してまで勝つことに拘ることで得るものは一体なんなんだろう。
サッカーをする喜びを表現できると多くの人を巻込み、魅了する
いま求められてるのは、サッカーを教える人ではなく、サッカーの楽しみを、プレーする喜びを伝えられる人。巻き込める人。
人々が進んでボールを蹴りたくなるような自発的な空気感を醸成できる人。なんじゃないかなと思うんです。
サッカーの本質を追求するたびはつづく…