大人になってから学ぶサッカーの本質とは

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サッカーと旅|有坂哲(後編)〜サッカーも人生も自然体で楽しむこと〜

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「サッカーと旅」というテーマのこの企画。

第一回は旅するように生きるサッカー人、有坂哲氏のインタビューをお届けしております。

 

後編となる今回は、コスタリカで選手生活を終え、帰国を決意した有坂氏。

その後のサッカー人生を描いていきたいと思います。

 

前編はこちら↓

keikun028.hatenadiary.jp

 

 

 

コスタリカで完全燃焼。

帰国後のお話を聞かせてください。

 

帰国後は、石神井高校サッカー部で再びコーチに。

高校生をメインに、中学生や小学生の指導にも携わりました。

28歳の頃から8年間くらいですね。

 

ーそんなに長くやられてたんですね!

約8年サッカーを指導された後、gol.が運営するFutbol & Cafe mfのショップディレクターになるわけですが、なぜサッカー指導者から転身することにしたんですか?

 

8年間石神井高校で指導をして、石神井高校でサッカーしたいっていう子どもたちも毎年少なくとも30人は入ってきてくれるようになっていて、とても嬉しかったんですけど…

 

自分にとってすごく居心地が良い場所になってしまったんです。

居心地が良いことはもちろん良いことなんですけど、その時の自分にはネガティブに感じることが多くなってきた感覚がありまして…

 

自分が子供たちへ伝える言葉に嫌気がさすことが多くなった

日々、子供たちに何かを伝えていく中で、自分が発する言葉に対して嫌気がさすことが増えたんです。

みんなの前で話した後に、なんてつまらないことを言ってしまったんだろう…なんてつまらない伝え方をしてしまったんだろう…って。

自分が「つまらないな」と思ってしまっているんだから、子どもたちの心だって当然揺さぶられないですよね。それが本当に嫌だったんです。

頭で考えて言ったことは心には届かない

「コミュニケーションの出発点」が心ではなくて頭になってしまっていたんですよね。本当は、目の前の子ども一人ひとりの心を感じ取ることが最初で、そこで伝えたいことが出てきたときに、それをどう伝えていこうかを頭を使って考えていく、という順序なはずなのに、感じ取ろうともせずに子どもたち全体の表面的な部分だけを見ただけで、とりあえず話しをしていた。だから一般論のようなつまらない話しばかりになってしまい、結果、自己嫌悪に陥る、気づけばそんなサイクルにハマってしまっていました。

たぶんその時の自分は「有坂哲」としてではなく、いわゆる「指導者」という立場からしかコミュニケーションが取れていなかったんだと思います。不自然ですよね。

やっぱり心が出発点にならないと相手の心にも届かないんだなと。

 

ー心が出発点にならないと相手の心にも届かない…

すごくわかります。

 

そういうことが積み重なってこのままじゃダメだと思うようになり、みんなに辞めることを伝えたんですが、そこで猛烈に反対されてしまって。そこにいた80人くらいの部員が次々に自分の気持ちを話してくれました。でも自分の辞める意志は強かったから「気持ちは嬉しいけど、申し訳ない」と。

その時にチームの幹部の高校生から「テツさん、お願いです、あと1週間だけ考えてください、それで返事をください」と言われて、さすがに高校生たちのこの気持ちまでは反故にしちゃいけないと「わかった、1週間もう一度考えるよ」と返事をしました。変わることはないけどと思いつつ。

そうしたらその3日後くらいに部員全員が手紙を書いてきてくれたんです。「決める前にこれを読んでください」と。そこには辞めてほしくない理由だけでなく、僕に対して納得いかないことも書いてあったりと、一人ひとりがむき出しになったものすごい熱量の言葉が刻まれていました。それを読んで心を動かされ、自分にはまだやれることがあるんじゃないかと思い直し、数日考えた後、みんなに続けることを伝えました。

 

それからの1年は、自分に対してつまらないと思う瞬間もどんどんと減っていって、主体性のある子たちを中心とした選手主導の面白いチームを作れていて、自分の中でも大きな手応えを感じていました。ただメインとなる選手権大会は、まさかの一回戦敗退という結果に…。それまでのコーチ人生で経験したことのない結果でした。もちろん大会の結果が全てではないですが、それまでの流れからのこの結果は自分的にはもう完全にアウトでした。一度コーチ業から離れようと辞めることを決意しました。

 

 

ーなるほど。

でも有坂さんの教え子たち何人か仲良くさせてもらってますが、彼らとの関係性をみてるとすごく濃密な時間を過ごしたんだなというのがわかります。

そして石神井高校での指導を終えて、Futbol & Cafe mfのショップディレクターになるという流れですね。

 

そうですね。

もともとMF(Futbol & Cafe mf)は一年間だけやる約束だったんですけど、やってみたら大変なんだけど面白いし、もっと色々と学びたいと思って続けさせてもらうことにしたんです。

MFっていうサッカーがテーマの場所にはいましたが、飲食業だからやっぱりサッカーの現場にいるのとは違って、一歩引いたところからサッカーを見ているという感覚でしたね。

 

ー僕が有坂さんと出会ったのはMFのトークイベントで、サッカーに関わる業界のオモシロイ人たちとの話は本当に楽しかったです。MFがなくなってから本当に一つの居場所がなくなってしまった感覚です。でも、やっぱりMFではなくサッカーの現場へという思いが出てきたんですね。

 

MFで仕事をさせてもらったことによって、自分が一番何を大切にしたいのかがはっきりして、思っていたことがより鮮明になったんです。

なぜ育成現場に行きたいのかということがハッキリわかった。

 

ちょっと話しが変わるんですけど、

よく子どもの頃に戻りたいっていう話しするじゃないですか?

自分の場合、戻りたいとは全然思わないんですよ。 

それは子どもの頃の記憶が

めちゃめちゃ楽しかったけど、めちゃめちゃ苦しくもあったからで。

 

周りと比較ばかりしては必要以上に苦しんだり、

自分の世界がまだ狭いゆえの正体のわからない不安感に包まれたり。

 

僕はサッカーをしてる時だけは

そういった子どもならではの苦しみから自由でいられたんです。

裸の自分でいられることが、すごくすごく嬉しかった。

それはブラジルやコスタリカでより強く感じるようになりました。

 

そういう原体験があり

しかも日本はどんどんと子どもが生きにくい社会にもなってるので

子どもを思いっきり解放させてあげたいと思うようになっていって。

 

MFでも、あるサッカー好きの親子にアドバイスを求められた時、明らかにスイッチが入った自分がいて、やっぱり育成の現場にいたいって思ったりもして…

 

ーそういえば「 U-12 ジュニアサッカー ワールドチャレンジ 」でアルゼンチンのカミオネーロスを観に行った後の有坂さんの興奮具合を鮮明に覚えてますよ。

「めちゃめちゃ解放されててヤバかったって」笑

 

カミオネーロスは本当にヤバかったですね。

真似る必要はないんだけど、解放させてあげることの大切さを改めて感じました。

 

カミオネーロスの話(有坂ブログ)より引用↓

大会の登録背番号が決まっているのに、

ぽっちゃりFWの少年はこの試合は9番がいいとゴネて結局代えたり、

おじいちゃん監督はテクニカルエリアのマーカーを

足で徐々に広げては第4審判と言い争いになってたり、

勝ち越しゴールを奪った瞬間、あまりの嬉しさで、

ベンチメンバーがピッチ内に入って来て一緒に喜んだり、

しかもそれの先陣を切ったのがじつはヘッドコーチだったり、

ゴールを奪った少年は感情の高ぶりで涙を流しちゃってたり、

リードしてからの残り時間は監督もコーチも、

テクニカルエリアどころかピッチに入って指示を出してたり。

ーー中略ーー

日本の今の社会って、残念だけども、

あれをしちゃいけない、これをしちゃいけない、

っていう窮屈な空気がありますよね、それは学校にも。

だからどうしたって子どもたちは「 何かをやろう 」って気持ちより、

「 何かをやらかさないようにしよう 」ってなると思うんです。

 

しかもその上で、

こうしきゃいけないという規則や決まりやルールにも縛られるんだから。

 

そんな今の日本の社会だから、

ココロのネジを「 締めるような教育 」より

「 緩めるような教育 」をしていった方がいいんじゃないかなと。

それでちょうど、ココロのバランスが取れる気がするんですよねぇ。

引用元:解放軍団。-テツの「PuraVida!」日記

 

日本の子どもたちを解放する時は、締めるよりも、緩める方が良いと思ってます。

日本の教育文化を踏まえると、緩めていくほうが解放させてあげられる。

 

ー締めるより、緩める!まさにそう思います。

それではFutbol & Cafe mfのショップディレクターを辞めて、糸島へ移住するまでの話を聞かせてください。

 

 育成年代の指導へ戻りたいと思ったのは事実だったんですけど、辞める時は次に何をするか決めてなかったんです。

 

出発前の有坂ブログより↓

じつはふたりともに仕事を辞めていて、

あえて帰国後の仕事も決めずに今回は旅に出ることにしました。

 

決めていくと、

それに向けての準備の旅になってしまいそうなのと、

予期せぬ展開に巻き込まれるチャンスがなくなるなと。

 

まぁ、帰国したら、めっちゃ大変だとは思いますがーーー

でもそれでも、 遠くにあるいきたいところには向かえる気がしてるのです。

引用元:いざ中南米へ。 - Football × Journey = Pura Vida!

 

約2ヶ月間コスタリカキューバを旅したんですけど、コスタリカで出会った日本人のご夫婦に、 福岡の糸島移住を勧められたんです。

実はこれまでも会う人会う人に福岡県や糸島を勧められていて、じゃあ、とりあえず帰国したら行ってみようということになったんですよね。

 

参考記事:まさかの展開。 - Football × Journey = Pura Vida!

 

ー帰国してから日本各地を車で旅してましたが、やっぱり糸島がよかったんですね。

 

約2週間、日本各地を車で回って、実際に糸島に行ってみたら、いろんな人たちとの出会いがあって、みんなすごく楽しそうだったんです。

 

で、ここで生活したらと想像してみたら、ワクワクしちゃったんですよねー。

 

コスタリカキューバの旅が終わった時に

当時住んでいた井の頭公園のアパートへ戻ったら違和感を感じたんです。

そこでの生活がイメージできなくなってしまった。

それは奥さんも同じ感覚だったみたいで。

 

僕は東京生まれ東京育ちですが、

それでも東京にいると精神的なゆとりを持ちずらくて、

常に何かに追われている感覚になってしまう。

 

中米の旅を終えて東京に帰ったらその想いが強くなってしまって

糸島に行ってみたら「移住」って選択肢がポコッと生まれてきた。

 

そして、糸島への移住を決めました。

仕事とか何もあてがなかったので不安でしたけどね。笑

 

結果、サッカーの指導現場に関われて

しかも中学生年代の監督をやらせてもらうことにもなって、

生活もしていけてる、本当にありがたい限りです。

 

住めば住むほどより自然体でいられるようにもなっていて、

移住して良かったなって心から思っています。

 

ー旅するように生きる有坂さんの人生。まさに先が読めないサッカーと同じですね。

最後に日本の若者へメッセージをください。

 

うちの家族は

僕が小学校3年生くらいの時に親が離婚して

自分を含めた子ども3人は母親が育ててくれました。

 

それまで専業主婦だった母は

夜遅くまで外で働くという日常に激変して、

住む家もログハウスのような面白い家から

おんぼろなワンルームのアパートになって、

不安だらけだったろうに、いつも笑っていました。

 

時間ができれば友達家族と楽しい時間を過ごしては

僕らが好きでやっていることには一切口出しせず育ててくれ。

 

 

僕が20歳くらいの時には素敵なパートナーと再婚をして、

今はさらに日々を楽しんで、人生を謳歌しています。

 

「まずは自分から笑うこと」

「楽しむことを諦めないこと」

 

を大事に夢中で毎日を過ごしていたら

人生ってどうにかなっていくんだなって

その生きる姿勢で教えてもらったし、

自分自身でも年々そう思うようになっています。

 

 

もし自分のやってることが上手くいかなかったり、

やりたいことが見つけられず苦しくなったり、

友人や恋人関係で精神的に行き詰まったりしたら、

ぜひ海外にひとり旅に出てみてください。

 

言葉が通じなくても大丈夫、目的がなくても大丈夫。

 

きっと「何とでもなるんだ」って思えるはずです。

「何とかできるんだ」とも思えるはずです。

 

それさえあれば、何をやっても大丈夫。

 

お互い愉快な人生にしていきましょうね。負けませんよ。笑

 

 

 

サッカーの本質を追求する旅はつづく…

  

>>サッカーと旅|有坂哲(前編)〜コスタリカの旅がくれたもの〜 -