サッカー選手を目指していた若い子から仕事の相談をされることが増えました。
選手にはなれず、社会人として働きはじめ、仕事、会社組織に物足りなさを感じているという話が多いです。
物足りないです。つまらないです。熱狂できないです。やりがいを感じられないです…と。
なぜ物足りないと感じるのか
サッカーは試合に勝利するためにチームのみんなで全力を注ぎます。
それは仕事も同じでは?と思うかもしれません。確かに同じなのですが、物足りなさを感じる原因は、勝利するための明確な相手がいないこと、そして個人が与える勝利への影響力の差なのかもしれません。あるいは、体感として、成果を実感し難いからかもしれません。
試合に向かう円陣も、勝利の雄叫びも、多くの仕事にはありません。
体がぶつかり合うことも、感情がぶつかり合うことも、仕事では多くありません。
人間のメンタルとフィジカルを総動員して試合という一瞬に注ぎ込まれるそれは生きている実感を得やすいのだと思います。
社会人になって、仕事を始めると、多くの場合サッカーで体感してきた”生きている実感”を得る機会が少なくなります。
生きている実感を得られるという表現が相応しくない人もいるかもしれません。
なぜならサッカーを義務的に取り組まざるをえなかった人が少なからずいるからです。指導者の影響でサッカーがつまらなくなってしまう場合、逆にサッカー以外のことに興味関心を持ちやすいかもしれません。しかしながらそんな場合でも、サッカーをやってきたというだけで弊害はあるように思います。
サッカーをするというだけで、あまりにも多くのものを要求され、犠牲にしてきました。それによって育まれた経験は非常に強力です。
こうあるべきが強化され、それを会社組織にも求めるか、あるいは物足りなさを感じることがあるように思います。会社組織が期待に応えられない場合、物足りなさを感じてしまうかもしれません。
育まれてきた自尊心・プライド
サッカーで生き残ってきた人は、プライドが高い傾向にあります。もちろん謙虚で人間性に優れた人もいますが、母数で言うと少ないのではないでしょうか。(あくまで主観ですが)
サッカーでそこそこの結果を出してきた人は、多くの場合、上昇志向で競争的な環境を好みます。かっこいい仕事を求め、大企業を求め、華やかさを求める傾向にあるように思います。会社員をせずに起業する選手も多い。そんな人と話をしてみると、ステイタスを重視する傾向があるように感じます。(もちろんそうではない独自の素敵な世界観を持たれている方も何人も知っていますが)
普通の会社員生活を知らずに、組織の代表になってしまうと、社会の重要な視点を欠いてしまうこともあるように思います。そのように感じるコミュニケーションも経験してきました。
サッカーをやってきた人間には、会社員は物足りなく感じてしまうことが多いかもしれません。培ってきた自尊心によって、会社員を選びにくいこともあるかもしれません。
サッカーで培った力を社会に還元することはできるかもしれない
でも、社会で活躍するサッカー人は、コミュニケーションを大切にして、人と繋がりながら価値を紡いでいるように思います。
サッカーはコミュニケーションのスポーツです。それは社会に出てからも求められるものです。
むしろサッカーをしてきた人が、積極的に繋がることの大切さを伝えていってほしいと思います。
組織の課題は、概ねコミュニケーションです。人と人の分断、人と社会の分断。
それを繋げるのはサッカー人かもしれません。
それができると、物足りなさは補完されるかもしれません。
- 作者:中村 憲剛/佐藤 寿人
- 出版社:集英社
- 発売日: 2022年11月14日頃