大人になってから学ぶサッカーの本質とは

日本にいながら外国人リーグでプレーする私の目から見るサッカーの本質とは… 元サッカー選手、元サッカーコーチ、中南米放浪サッカー経験者として好き勝手語らせて頂きやす

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サッカーと旅|有坂哲 〜コスタリカの旅がくれたもの〜

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サッカーと人生。

サッカー人にとって、「サッカー」と「人生」はイコールである。

私の人生に、サッカーが与えてくれたものはあまりにも大きい。

そして、サッカーを本当に愛する人、サッカーの本質を追求する人を描くとき、私はまたその人の人生を旅することになる。

 

今回は、コスタリカでプロサッカー選手として活躍し、トータルフットボールブランド 『gol.』のショップディレクターを経て、福岡の糸島へ移住、現在はサッカー指導者として活動するサッカー人、有坂哲さんの人生を描きたい。

 

有坂哲さんプロフィール

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1975年生まれ、43歳

選手歴

都立石神井高校

拓殖大学

タナビEC( ブラジル )

九曜クラブ( 関東社会人リーグ )

サン・ラファエル(コスタリカ

指導歴

都立石神井高校ヘッドコーチ( 東京都3位 )

練馬FCジュニアユース

ランサメントFC

練馬小SC

エリア伊都

サッカー選手になるまで

コスタリカでプロサッカー選手になるまでの経緯を教えてください。

拓殖大学サッカー部に入部して、2年生になる頃に大学を中退してブラジルに半年間サッカー留学、帰国後は東京の社会人リーグに所属する九曜クラブでプレーしながら、都立石神井高校サッカー部のコーチになりました。

九曜クラブでは1シーズンプレーしたんですが、コーチ業に専念したくて辞めたんです。選手としても、コーチとしても週末に試合があって、どちらかにしか行けない。

途中から高校生たちの試合を見たいと思うようになって、選手からコーチの道に自然と移行していきました。高校生たちにサッカーを教えるのはとてもやりがいがあって、何より面白かったんですよね。

25歳の終わり頃、3、4年指導に携わって結果も出始め、人数も集まってきて、とても面白かったんですけど、気づいたら彼らのキラキラした目が恐くなってしまって。

とても素直で純粋な彼らは指導者である自分のことを慕ってくれて、言うことをなんでも素直に受け入れてくれる。でも、いまの自分にはまだそれに応えられるだけの人間としての経験値やキャパシティが圧倒的に足りてないと思って、自分にすぐに跳ね返ってくるような直接的なチャレンジをしたいと考えるようになったんです。

 

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26歳、指導者を経てコスタリカ

ーなぜコスタリカだったのでしょうか?

行ったことのない知り合いもいない国に飛び込みで行きたいと思いました。

当時はまだ日本人がサッカーしに行くには未開の地だったし、難しい環境でチャレンジしたかった自分にとってこれ以上ないと思ったんですよね。

 

ー未開の土地ってワクワクしますけど、恐いですよね…

自分の行動の動機になるものっていつも

先が見えない恐い気持ちを圧倒的に上回るワクワク感が生まれたときで、

コスタリカに行くと決めたときはまさにこの感覚だったんです。

コスタリカで得た経験 

コスタリカの生活、サッカーの話聞かせてください

本当にコスタリカではたくさんのオモシロイことがあったんですけど、思い返して印象に残っているのは特別なことじゃないんですよね。

気軽に挨拶できることだったり、人と人が触れ合う機会の多さだったり、そういう人の温もりを感じられることで。日本だとあまり日常的じゃないけど、コスタリカではそれが自然だったので。

 

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草サッカーがプロへの道を開いた

コスタリカに上陸して8か月くらいしてから、現地で知り合った日本人の方がアパートを探してくれて、そこに引っ越して、その場所で草サッカーをしてたら元コスタリカ代表選手に見出されてプロへの道が開けた、といま思い返してみても嘘のような展開が待っていたんです…

ちょうどお金がなくて帰国しようかと考えていたタイミングで、サン・ラファエルという2部リーグのクラブと契約できて、1シーズンプレーすることができました。

人との出会いで人生が動いていくっていうことが体感としてよくわかった出来事で、こんなカタチでチャンスが生まれるってすごいことだなって。

コスタリカに着いたときには誰ひとり知ってる人がいなかったですからね…。

ただ日本でも人との出会いで変化は起きてたと思うんです。

でも、それに気づけていなかった。

コスタリカに上陸したときはまさに0の状態だったのでそれが1になる劇的な変化がわかりやすかった。関係性がすでにある日本では50が51になるとかだから違いが見えずらかったというか。

でも同じ1なことには変わりなくて、それを深く実感できるようになったことはコスタリカにチャレンジに行ったことへの一番のご褒美でした。

自分がどこまでやれるのかを知るための旅だった

プロとしてプレーしているとき、競技者としてプレーしている間は日々成長していきたいから自分が納得することはないなと思ったんです。

だから区切りだけ設けようと。シーズン終了後に1部のクラブへチャレンジしてダメだったら帰国しようと決めて、一部のテストを受けに行きました。

で、ダメだった。でも完全燃焼。本当に完全燃焼。

人生で初めて心からそう思えました。

帰国することになってしまったんですが、不思議と心から嬉しかったんですよねぇ。

 

つづく…

 

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