明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
2022年もたくさんの読者の方々に支えられ、限られた時間の中でなんとか当ブログも更新し続けることができました。
ふりかえると、色々なことがありました。
サッカー指導者のコミュニティで登壇させていただいたり、フットボール批評というサッカー雑誌に出させていただいたり、社会人サッカークラブの経営に携わらせていただいたり、サカイクさんで企画させていただいた横浜FCのシニアアカデミーダイレクターのリチャード・アレンさんにインタビューさせていただいたり、その他にも公には書けない業界の方々との会食など貴重な経験をさせていただきました。
このブログが起点となって生まれたご縁だと思うと、素直にすごいなと思います。
時に自分の持ちうる価値以上のものを求められることもありましたが、必死に学び行動し続けることでストレッチできたかなとも思います。本当にありがたい。
【目次】
さて、今回は2022年をふりかえって、感じたことを書いていきたいと思います。
上述した経験を踏まえて、よく考えたことはタイトルにもある下記のことです。
サッカーとはなにか?サッカーの価値とはなにか
このテーマをよく考えるきっかけとなったのは、社会人サッカークラブの立ち上げに携わったことです。フットボールクラブの存在意義とは?をものすごく思考しました。クラブが乱立する中で、なぜ僕らは存在する必要があるのか?を問うと、そもそもサッカーの価値とは?サッカーとはなにか?という問いが生まれ、それを思考する時間が必要になりました。
そんな中、横浜FCのリチャード・アレンさんに話を聞く機会をいただいたり、フットボール批評ではクリアソン新宿の井筒さんと対談の機会をいただいたり、その繋がりで鎌倉インテルの監督である河内さんとお話する機会もあり、問に対する思考はかなり深いところまで潜れたように思います。
リチャードさんにインタビューした記事👇
「日本で最高のアカデミーをつくる」横浜FCアカデミーアドバイザーのリチャード・アレン氏に聞いた日本サッカー発展のヒント | サカイク
罪深くも面白い"高校サッカー"について、池尻のオシャレなカフェで2hくらい喧喧諤諤やったアウトプットを、皆様、ぜひ手に取ってくだいませ。
— 井筒 陸也 (@izz_izm) 2022年12月9日
あとKeiさんのブログはめちゃ興味深いので、井筒のフォロワーさんは必読です。
Keiさん、ありがとうございました!https://t.co/NKL9RRK6VL https://t.co/iVQ04nFWjn
井筒さん、河内さんの著書👇
このお二人の著書を読んで衝撃を受けたのは、テーマ、内容はもちろんのこと、問の立て方と、問の質、そしてその思考の深さでした。
サッカーをここまで深く、しかもあらゆる角度で検証し、具体と抽象を往来しながら語ることができる若者を見たことがありませんでした。
決して、サッカーだけではサッカーは深くならないし、サッカーを理解するためにはサッカーだけでは全然足りないなと改めて感じました。
さて、サッカーとはなにか?という問いに対しては、人によって解釈が変わるものだと思います。その前提を踏まえて個人的に思うところを少し書いてみたいと思います。
サッカーは誰にも開かれた遊びでありエンターテイメント
これに尽きると思っています。2022年のワールドカップを見ても、人々の熱狂、とりわけアルゼンチン人の熱狂を見ても分かる通り、彼らにとってサッカーは誰にでも開かれていて熱狂することが許容されているものなのだということがわかります。仕事を辞めてカタールに行った人、家を買うために貯めていたお金をワールドカップ観戦につぎ込んだ人、恐らくそのような人の数は日本の比ではないと思います。
彼らにとってサッカーそのものが、それほどの価値を持ち、極上のエンターテイメントとして日常にあるわけです。
私たちの国ではサッカーがそこまでのものではありません。
サッカーは習い事であり、より優位なエンタメはたくさんあります。サッカーによって仕事や家族が犠牲になることは許容されにくいものです。
ただし、日本サッカーが歩んできた歴史は間違っていたとも思いません。日本は世界のサッカー先進国と比べるとサッカーの歴史はとてつもなく浅いわけです。もともとサッカー以上に発展していたスポーツもあればエンタメも豊富にある国なのです。
その中でサッカーがここまでの人気になったことは、サッカーに関わってきた人たちの努力に他ならないとも思います。
もちろん、課題はたくさんあります。これまで当ブログで発信してきたように、日本の時代遅れの悪しき教育文化の影響を受けたサッカーがネガティブな要素を多分に含んでいることは事実としてあります。これは日本が島国であることと、日本語という極めてクローズドな言語文化がサッカーというグローバルスポーツにおいてマイナスに働いてしまうという側面があると感じています。
これらを踏まえて、我々はサッカーの本質をどのように捉えて育んでいくかを考え続けなければならないと思います。サッカーという素晴らしいエンターテイメントをより多くの人に楽しんでもらうために。
サッカーの価値とはなにか?
サッカーの価値とは何でしょうか。これはサッカークラブの経営に携わる機会をいただいて考えることが多かったのですが、課題として感じているのは、サッカーが社会に繋がっていないということです。
サッカー選手、あるいはサッカーをやってきた人が社会に繋がれていないという課題を感じました。これは日本という国において、あまりにもサッカー選手が特別なものとして扱われてしまうからなのではないかと思います。サッカー選手になるまでのプロセスを知る人は体感していることだと思いますが、サッカーにはヒエラルキーがあり、上手いやつが優遇されすぎて、プライドが育まれるわけですが、サッカー選手の多くがサッカー以外のキャリアに対してあまりにも関心が低かったり、そのようなことを考える必要性を感じていなかったりする理由はこのヒエラルキーや教育の過程に起因するように思います。もちろん疑問を感じ、あるいは危機感を感じてサッカー以外の世界を覗きにいこうとする選手もいます。しかしそれはほんの一部であるということを知りました。
また、サッカーしかしてこなくて、社会の仕組みや、ビジネスの基本を知らない人材がいきなりビジネスの世界に入ると、大きな壁に直面します。
それはサッカーで築き上げたプライドという壁です。
自分はサッカーで成り上がった特別な存在であるという認識を持ち続けてしまうこと、更に周囲もそんな人を過剰にリスペクトしてしまうことで、社会の仕組みや、ビジネスの基本を知らないまま周囲にコントロールされ、いつのまにかビジネスパーソンとしての積み上げができず、周囲に利用されて本分を見失ってしまうという事象が起きます。
そんな構造がサッカーにはあるように思います。
サッカー人が、社会とつながる術を学ぶ機会がなく、社会もサッカー人を適切に受け入れる関係性になっていないように感じました。
なぜでしょう。教育の過程で、社会を知る機会がないからなのかもしれません。
ビジネスを学ぶ機会が少ないからかもしれません。いずれにせよ、サッカーの価値を高めようと思ったら、社会にとってサッカーはなぜ必要なのか?という問いを持ち、それを思考し続けて価値を見出さなければなりません。
そのためにはサッカー以外の多くの学びが必要になるわけです。
サッカーの魅力はなにか?サッカーの価値はなにか?を言語化するには社会を知らずしてできないということです。
2022年は、そんな事を考えながら、様々な経験をすることができた一年になったと思います。
2023年も、サッカーの魅力を伝えられるように、サッカーが社会ともう少しつながっていけるように活動しながら発信を続けていければと思っています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。