
ジュニアサッカーの現場にいると、
子どもたちを「評価すること」に、やたらと熱心な大人に出会うことがあります。
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あの子は戦力になる
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あの子はメンタルが弱い
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あの子はセンスがあるけど、気持ちが…
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あの子はちょっと厳しいかな
子どもたちの将来を、たった数年の印象で切り分けていく。
そういう指導者やコーチに、一つだけ聞いてみたいことがあります。
「あなた自身は、どれだけ “評価されて” いますか?」
子どもをジャッジすることには積極的なのに、
自分の指導や在り方がどう評価されているか、
そこには驚くほど無頓着なんじゃないか、
そんな違和感を、ずっと持っています。
「基準を語る人ほど、自分の基準には甘い」
子どもの前では、立派な言葉が並びます。
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「自分で考えろ」
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「意識を高く持て」
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「もっと努力しろ」
でも、じゃあ指導者自身はどうか。
自分の指導を振り返る時間を、どれだけ取っているのか。
外からフィードバックを受ける場に、どれだけ身をさらしているのか。
「自分の基準」をアップデートする努力を、どれだけ続けているのか。
子どもには「成長しろ」と言いながら、
大人は自分の成長をどこかで諦めてしまっていないか。
評価する側に立った瞬間、「変わる努力」が止まる
子どもを評価することに熱中する一方で、
自分が評価される場からは、そっと距離を置く。
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自分のミスは、笑い話にして流す
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自分の指導の問題点は、「最近の子どもはさ」で片付ける
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自分が学び直すコストを払わないまま、「今どきの指導」を語る
こうして少しずつ、
「教える側の成長」が止まっていく。
怖いのは、その姿を子どもたちがちゃんと見ているということです。
権威が育てるのは、主体性ではなく「忖度」
子どもたちは、言葉よりも “背中” を見ています。
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文句を言わない
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指示に従う
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空気を読む
そんな態度が評価される環境では、
「自分で考える」よりも、「怒られないように動く」ことを学んでしまう。
サッカーのピッチに、本来あるはずの
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ひらめき
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遊び心
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予想外のチャレンジ
こうしたものは、
“リスク” として消されていきます。
それでも試合には勝てるかもしれない。
でも、そのプロセスの中で失われるものの大きさに、
どれだけの大人が自覚的でいられるでしょうか。
「子どもを評価する前に、自分は評価されているか?」
私は、子どもを評価しようとする指導者・コーチほど、
こんな視点を持つべきだと思っています。
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自分の指導は、誰からどう評価されているのか
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子どもや保護者からの声を、ちゃんと受け取る仕組みがあるか
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同業のコーチと、指導を見せ合い、フィードバックし合う機会を持っているか
偉そうに「基準」を語るわりに、
指導者としての基準や評価に、あまりにも無頓着な人が多い。
「俺はこういうサッカーをやりたい」
「これがうちの基準だ」
その前に本来問われるべきは、
「あなたは何によって、どう評価されている指導者なんですか?」
という問いのはずです。
親の「見る目」が、最後の砦になる
じゃあ、この状況を変える力はどこにあるのか。
私は、「子どもを預ける側」である親のまなざしが鍵だと思っています。
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練習の雰囲気はどうか
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コーチの声がけはどうか
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子どもたちの表情はどうか
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勝利よりも、その子の成長を見てくれているか
「どこのチームが強いか」よりも、
「どんな指導者がそこにいるか」に目を向ける。
それだけで、
“評価するだけで自分は評価されない大人” が
現場から減っていく可能性は、たしかにあります。
ここまで書いてきたような違和感や問題意識を、
整理してまとめました👇
note.com
ブログよりも一歩踏み込んだところまで書いています。
もしあなたが、
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子どもをサッカーチームに通わせている親で
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あるいは、育成年代に関わる指導者で
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「このままで本当にいいのか?」と少しでも感じたことがあるなら
きっと、何か考えるきっかけになるはずです。
子どもを評価する前に、
自分はどれだけ「評価される覚悟」を持てているのか。
その問いを、一緒に考えてもらえたら嬉しいです。