
サッカーの指導をしていると、
つい口を出したくなる瞬間があります。
「そこはワンタッチで出して」
「今のはサイドに開いて受ける場面だった」
「シュート打たなきゃ、点は入らないよ」
…どれも“間違ってはいない”アドバイス。
でも、
その言葉が、子どもたちの「考える力」を
知らず知らずのうちに削いでいるとしたら?
教えることは、育てることと真逆かもしれない
クリエイティブ集団「コルク」代表・佐渡島庸平さんの言葉に、ハッとさせられました。
"教える"ことは、"育てる"ことと真逆なのかもしれない。
— 佐渡島 庸平(コルク代表) (@sadycork) 2025年9月25日
「もっと良くなってほしい」「力になりたい」
人を育てる立場になると、ついそう思ってアドバイスしてしまう。
でも最近、それは相手の伸びしろを奪っているのかもしれないと感じている。…
彼が紹介していたのが、スピードコーチの里大輔さんの言葉。
「Badを食わせる」
あえて、子どもが“うまくいかない体験”をすること。
「なんか違うな」「これじゃダメだ」と、
自分の中に違和感が生まれる瞬間を待つ。
そこにこそ、
本物の学びのスイッチがある。
子どもは、「問い」を持ったときに本気になる
人は、誰かに言われた“正解”よりも、
自分の中で生まれた違和感の方が何倍も深く心に刺さる。
「なんであそこでミスしたんだろう?」
「どうすれば、もっとチームの役に立てるんだろう?」
「なんで、あいつはいつも楽しそうなんだろう?」
そういった問いを持ったとき、
子どもたちは初めて、本気でサッカーと向き合い始める。
待てるかどうか。それが育成の分かれ道
佐渡島さんはこうも言っています。
「育てるとは、教えることではない。気づきの場を整えることだ」
「アドバイスを飲み込んで、違和感が言葉になるまで見守る」
まさに、
サッカーコーチに今こそ求められるマインドセットだと思います。
答えを先に渡さない。
ミスや失敗という“違和感”に出会う機会を奪わない。
そして、その違和感が芽吹くまで、信じて、待つ。
大人社会でも同じじゃないか?
これは、子どもの育成だけじゃない。
部下との関係でも、チームビルディングでも同じです。
若手に「こうやれ」と正解を与えてしまうと、
彼らは自ら考える機会を失っていく。
でも、
自分で問いにぶつかり、違和感を言葉にしたとき
そこから自分の言葉で、行動が始まる。
大人社会も、サッカーも、
育成の本質は「気づきを待てる環境」なのだと感じます。
サッカーの未来をつくるのは、教えない勇気
私たち大人にできることは、
“上手くさせる”ことじゃなく、育つ環境を整えること。
・子どもが問いを持つまで待つ勇気
・失敗の中に学びがあると信じる覚悟
・正解を飲み込んで、沈黙を共有する力
それができたとき、
「気づき」から始まる、本物の育成が始まるのだと思います。