大人になってから学ぶサッカーの本質とは

サッカーの本質を追求するWebマガジン 考えるよりも感じることを大切に 美しさとは何かを感じる心を大切に 大切なものを失わない為に書き綴る                    ※当ブログはプロモーションが含まれています

自分のサッカーを、自分の言葉で語れるか

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自分の直感と感情をたいせつにしなさい。それから、自分の理性も信じなさい。もちろん友愛もたいせつだし、芸術を観る自分の眼、自分が抱いている理想もたいせつにしなさい。 くれぐれも世間の価値観に惑わされないように。多くの人の考えとちがっていても不安になることはありません。あなたはあなたの道を独りで往かなければならないのです。 それに、世間なんていつもふらふら揺れてばかりいます。世間の人々はそういうふうにすぐさま向きを変え続ける風見鶏のようなものなのです。そんなものは気にせずに、あなたの審美眼、あなたの価値観、あなたの愛で、あなた独自の世界を広げていきなさい。

ヘッセ 人生の言葉 エッセンシャル版 (ディスカヴァークラシック文庫シリーズ)

ヘッセ 人生の言葉 エッセンシャル版 (ディスカヴァークラシック文庫シリーズ)

  • 作者:白取春彦(1954-)
  • 出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2016年10月28日頃

 

ヘルマン・ヘッセのこの言葉を読んだとき、

私はふと、グラウンドに立つ子どもたちの姿を思い浮かべた。

ボールを持った瞬間、一瞬だけためらう視線。

周りを気にして、無難な選択をしてしまう足。

「本当はやってみたかったプレー」を、飲み込んでしまう心。

それは技術の問題ではない。

もっと根っこの、「自分を信じる力」の問題だ。

サッカーは、正解を探す競技ではない

サッカーの現場には、いつも「正しさ」が溢れている。

このポジションでは、こう動くべき。

この場面では、パスが正解。

その判断はリスクが高い。

もちろん、理性は大切だ。

ヘッセも言っている。「自分の理性も信じなさい」と。

でも、理性だけでサッカーをしようとした瞬間、

プレーはどこか他人行儀になる。

サッカーは、瞬間の連続だ。

考えきる前に、体が反応してしまうような世界。

そこでは、直感や感情が、理性と同じくらい重要になる。

本当に創造的なプレーは、

「正しいかどうか」よりも先に、

「やりたい」という衝動から生まれる。

世間の価値観は、いつも揺れている

「くれぐれも世間の価値観に惑わされないように。」

この一文は、育成年代のサッカーを見つめる大人にこそ、

深く突き刺さる言葉だと思う。

今、評価される選手像は何だろう。

フィジカルが強い選手?

早熟で目立つ選手?

数字を残す選手?

でも、少し時代が変われば、

その価値観は簡単にひっくり返る。

ヘッセが言うように、

世間とは「風見鶏」のようなものだ。

風向きが変われば、平気で向きを変える。

そんな不安定なものを基準に、

子どもや選手の未来を測っていいはずがない。

指導者が奪ってはいけないもの

指導者は、教える立場にある。

だからこそ、無意識のうちに奪ってしまうことがある。

それは、

「自分で感じ、考え、選ぶ力」だ。

指示を出しすぎること。

失敗を先回りして止めること。

世間的な正解を押し付けること。

それらはすべて、

選手が「自分の道を独りで往く」機会を奪ってしまう。

ヘッセは言う。

「あなたはあなたの道を独りで往かなければならないのです。」

これは、サッカー選手にも、指導者にも等しく当てはまる。

審美眼を育てるということ

「あなたの審美眼、あなたの価値観、あなたの愛で、

あなた独自の世界を広げていきなさい。」

サッカーにおける審美眼とは何だろう。

それは、

勝ち負けだけでは測れない価値を見抜く目だ。

結果に現れない工夫。

失敗の中にある挑戦。

誰にも気づかれなかった一歩。

そうしたものを「美しい」と感じられる感性。

選手にとっても、指導者にとっても、

この審美眼こそが、長いサッカー人生を支えてくれる。

自分のサッカーを、自分の言葉で語れるか

最後に、ひとつ問いを置いてみたい。

あなたは、

「なぜ自分はこのサッカーをしているのか」

「なぜこの指導をしているのか」

それを、自分の言葉で語れるだろうか。

世間の評価ではなく。

流行のメソッドでもなく。

誰かの成功事例でもなく。

自分の直感と感情と理性、

そして、自分なりの理想を信じて。

サッカーとは、本来、

人を型にはめるためのものではない。

その人だけの世界を、静かに、確かに広げていく営みだ。

風見鶏の声に耳を奪われるよりも、

まずは、自分の内側の声に、

そっと耳を澄ませていたい。

それが、

サッカー選手にも、指導者にも、

いちばん大切にしてほしいことだと、私は思う。

ヘッセ 人生の言葉 エッセンシャル版 (ディスカヴァークラシック文庫シリーズ)

ヘッセ 人生の言葉 エッセンシャル版 (ディスカヴァークラシック文庫シリーズ)

  • 作者:白取春彦(1954-)
  • 出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2016年10月28日頃

サッカーは、あまりにシンプルだ。「ボールをゴールに入れる」。この原始的な目的のために、11人の人間が集団を形成する。

そこには、社会というシステムの縮図がある。

ある者は組織の歯車として自己を消し、ある者は王様としてエゴを爆発させる。献身と裏切り、規律と自由、伝統の固持と革新の衝突。およそ人間が集団生活を営む上で直面するあらゆる矛盾が、緑の芝生の上に整然と、あるいは混沌と並べられている。

このスポーツがこれほどまでに世界中で愛され、語られるのは、そのシンプルさゆえに、「誰もが自分の哲学を投影できてしまうから」に他ならない。

勝利至上主義者は、それを「戦争」と呼ぶ。

論理的思考を重んじる者は、それを「生身の人間によるチェス」と呼ぶ。

芸術を愛する者は、それを「フットボールはアートである」と呼ぶ。

サッカーが深淵なのではない。サッカーという器があまりに透明で、広大であるために、それを見つめる僕たち自身の内面が、残酷なまでに映し出されてしまうのだ。サッカーを語る言葉は、そのまま「その人が世界をどう見ているか」という自己紹介に変貌する。

このスポーツは、僕たちの良心や醜悪さ、希望や絶望を鮮明に映し出す「鏡」として、あまりに優秀すぎる。

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