
「サッカーのルールに合わせるんじゃなくて、今は子どもにサッカーを合わせるかたちでやってます。」
ある朝、息子さんの試合を観に行ったお母さんが、コーチのそんな言葉を聞いたそうです。
その一言に、彼女は心から「素敵な環境でやらせてもらっているなぁ」と感じたと、Threadsに投稿していました。
その投稿には、5歳の子どもたちがサッカーを“自由に思いっきり楽しんでいる様子が綴られていて、読んでいて思わず笑顔になってしまいました。
試合の途中に味方同士でボールを取り合ったり、取っ組み合いになったり。
コートの外でもサッカーを続けてしまったり。
誰かが点を入れたら飛び跳ねて喜び、点を取られたら本気で悔しがる。
そんな子どもたちの姿は、まさに「サッカーが生活そのものになっている」ような、
生き生きとしたエネルギーにあふれています。
教えるより先に、大切にしたいもの
私たち大人は、どうしても“正しさ”を先に教えたくなります。
「それはルール違反だよ」
「味方とボールを取り合っちゃダメだよ」
「ここはポジション守らないと」
もちろん、ルールは大切です。
スポーツである以上、ルールがあってこそ「ゲーム」は成り立つ。
でも、その“ルールの前”にあるべきものを、忘れてしまっていないでしょうか?
子どもたちがボールを追う理由。
それは、「楽しいから」
ただ、それだけです。
点が入ったら嬉しい。
点を取られたら悔しい。
仲間が頑張っていたら応援したくなるし、負けそうになったら力が入る。
そうやって、「感じる力」や「湧き上がる感情」をたくさん経験する中で、子どもたちはサッカーを学び、そして“人生”を学んでいくのです。
自由に遊ぶ中で、育っていくもの
5歳の子どもたちが、試合中に味方とボールを取り合って取っ組み合いになる。
普通に考えたら、ちょっとした“トラブル”に見えるかもしれません。
でも、そこにはちゃんと理由がある。
「あのボールを、自分がゴールに入れたい!」
「今は自分が蹴りたい!」
そんな強い感情があるからこそ、体が自然と動く。
そのやりとりの中で、はじめて子どもたちは知るのです。
「奪えばいいわけじゃないんだ」
「譲るってことも必要なんだな」
「チームってなんだろう?」って。
正しさを一方的に押しつけるより、そうやって自分で感じて、自分で考えて、自分で学ぶことこそが、本当の“育ち”につながっていくのだと思います。
指導者の「覚悟」がつくる、やさしい空間
「サッカーを子どもに合わせる」
それは、簡単なようで、とても勇気がいる選択です。
ルールを教え込んだほうが、整って見える。
勝利を目指すほうが、評価されやすい。
外から見てわかりやすい成果が、そこにはあるから。
でもそのコーチは、子どもたちの「今」を尊重してくれていました。
小さな体で、一生懸命ボールを追う姿を大切にしてくれていた。
だからこそ、親御さんは心から「この環境で良かった」と思えたんだと思います。
指導とは、技術を教えることじゃない。
目の前の子どもの心に、耳をすますこと。
それができる人がいるから、子どもは自由に、安心して、夢中になれる。
子どもがサッカーを通して得るもの
サッカーは、ただ勝敗を競うだけのスポーツではありません。
もっと大切なことを、子どもたちに教えてくれます。
自分の気持ちに気づくこと。
他人の思いを感じ取ること。
うまくいかない悔しさを知ること。
チャレンジして、失敗して、それでもまた立ち上がる勇気。
それはすべて、「正しいかどうか」の前にある、**人としての“土台”**のようなもの。
だからこそ、ルールやテクニックを教えるよりも先に、
「感じていいんだよ」
「楽しんでいいんだよ」
そんな空気を作ってあげることが、何より大切なのかもしれません。
Threadsに投稿された、あの一言が忘れられません。
「今は子どもにサッカーを合わせるかたちでやってます。」
子どもたちは、サッカーを通して、生きる力を育んでいる。
その芽を摘むのか、それとも育てるのか、それを決めるのは、私たち大人の“まなざし”です。
たくさん走って、笑って、泣いて、怒って、自由にボールを追いかけたその先に、
その子だけの“サッカー”が、きっと育っていくのだと思います。