
練習が終わった後もボールを蹴っている子。試合が終わったのに、「またやりたい」とボールを蹴る子。
そういう子たちを見ていると、「この子は、いい育てられ方をしてきたな」と感じる。
一方で、技術があるのにどこか無表情だったり、「上手くならなきゃいけない」「試合に出なきゃ意味がない」と思い詰めているような子にも出会う。
彼らの中には、本当はサッカーが好きだったはずなのに、その“好き”を守ってもらえなかった子たちがいる。
指導者や保護者が意図的でなくても、過剰な期待、比較、結果主義の空気が子どもの「好き」を少しずつ削いでしまう。
そして気づいた時には、“続けているけど、もう心から楽しんではいない”という状態になってしまう。
「勝つこと」や「上手くなること」ばかりが強調される現場では、誰がどれだけプレー時間をもらえたか、誰がトレセンに呼ばれたか、そういった序列や成果が子ども自身の価値を決めてしまう。
「下手だと怒られる」
「結果を出さないと認められない」
「友達は活躍してるのに、自分は…」
そんな気持ちを小学生が抱えているなんて、やっぱりどこか歪んでいる。
僕は常々、育成年代で大人に求められる役割は、「選ぶ人」ではなく「育てる人」であるべきだと思っている。
プロになれる子を見つけ出すのではなく、“サッカーって楽しいよね”と思わせてあげられる人こそが、最も大事な存在だ。
なぜなら、本当に上手くなる子は、「もっとやりたい」「こうなりたい」と自分の内側から燃えるような欲求を持っている。
その火は、「サッカーが好きだ」と思える経験からしか生まれない。
だからこそ、技術的な指導の前に、まず「好きでいさせる努力」を大人がしなければならない。
これまでも「無意識の先入観」「親の過干渉」「怒鳴る指導」など、育成現場の“見えにくい課題”をたくさん指摘してきた。
それらすべてに共通するのは、「子ども自身の心が置いてけぼりになっている」ということだと思う。
子どもにとって、サッカーは“遊び”であっていい。でもその“遊び”の中で夢中になり、仲間と笑い合い、時に悔しくて泣いて、心の中に「もっとやりたい」が芽生えていく。それが、ほんとうの育成じゃないだろうか。
私たち大人はつい、「勝たせなきゃ」「伸ばさなきゃ」と先回りしてしまう。
だけどその前に、「この子はサッカーを楽しめているか?」「笑っているか?」「また明日も来たいと思っているか?」
そんな問いを自分に投げかけてみたい。
子どもたちが「サッカー大好きだよ」って言えるようになるために。その言葉を引き出せるような関わり方を、もっと意識したい。
サッカーを“好きにさせる人”。その存在が、いま一番足りていないのかもしれない。
- 作者:土屋 雅史/大槻 邦雄
- 出版社:ベースボール・マガジン社
- 発売日: 2024年12月25日頃