日本の野球界に大きな影響を残した、野村克也さんの著書「指導者のエゴが才能をダメにする」の一部を抜粋してご紹介させていただきます。
褒められるだけでも、叱られるだけでもダメ
私は「褒められる」ことに対しての免疫がない。「叱られる」ことで成長してきたし、そのプロセスのなかでは鉄拳制裁を受けることだってあった。
ただし鉄拳制裁を受けたことによって、人間的に何か1つでも成長したことがあるのかと聞かれれば、それは「ない」と断言する。鉄拳制裁を「愛のムチ」などと言う人もいるが、私にしてみれば単に「コノヤロー」と怒りの感情しかないように思える。 だから私は選手に対して手を上げたことはない。自分が経験して無意味だと思ったことは、選手に対しても一切しなかった。
では、「叱らない、褒めてばかりの指導」はどうだろう。 これについても、私は異を唱えたい。 褒める指導というのは、一見効果があるように思われやすい。だが、人間というのは褒め続けられてしまうと、それが当たり前となってしまい、「あの人に褒めてもらった」という感動はなくなってしまう。
褒めることの重要性が謳われるようになって久しいですが、体罰や罰走などの軍隊教育の名残による問題がメディアで取り上げられるようになった反動だと思います。
叱られてばかりの教育を受けてきた私たちは、それが教育だと思ってきました。多くの犠牲が出ていても、そういうものだと、それが当たり前だと問題視する社会でもなかったわけですが、近年ようやくそれがおかしいと言われる風潮になりました。
褒めるだけではダメ
鉄拳制裁によって成長したことは「ない」と書かれている通り、それが成長に寄与することはないと思います。傷を負うことはあっても。
ただし、褒めるだけでもダメなんですね。褒めて伸ばすという考え方は、主体性と好奇心があって自立稼働できる人間にしか通用しませんが、日本で教育を受けてきた人の多くは主体性も好奇心も殺されてしまった人が多いわけです。
そういう教育を受けてきたので仕方のないことだと思います。
褒めるべきところは褒める。間違っていること、やってはいけないことをやってしまったら叱る。これを大人が見極めていくことが大切なのではないかと思います。
野村さんの本からは多くの気付きと学びがあります。
教育の本質が記されています。ぜひ、ご一読ください。