日本サッカーには特有の問題がある。罰走や体罰という理不尽な指導、高校サッカーが引き起こす弊害、部活動問題などサッカー先進国では考えられないような問題が日本には多く存在する。そんな「鎖国」日本をアップデートさせることを志す1人の若者によって始まった連載企画「日本サッカーを開国せよ」。
今回のテーマは「気合いの尺度は掛け声!?」
文:小谷野拓夢
〇目次
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①掛け声と気合い
先日少年サッカーを観戦する機会があった。そこで子どもから聞こえてきたのが「ファースト!!」「オウ!!」という声かけ。なぜか分からないがこの掛け声は多くのチームが行っている…。そして、それに対し「声が小さいなー気合いが足りてないぞ~」と指示するコーチ。
このようなシーンに遭遇したのは初めてではない。掛け声を求める指導者は多く見てきた。そしてその掛け声によって気合いを測る人も。
恐らく、これを読んでいる選手や保護者、指導者の方々の中にもこのようなシーンを経験したことはあるはず。当たり前になっているからこそ、もう一度考え直す必要がある。掛け声で気合いは測れるのか?そもそも掛け声っているのか?その点について自分の意見を書き上げたい。
②声の重要性
声というのは、コミュニケーションの道具である。道具というのは、使用する目的がある。道具のための道具ではない。では声の目的は何だろうか?それは自分の意思を伝え、問題を解決することだと考える。無論すべての声がそうである必要ではない。ピッチ上での話である。
ラグビー日本代表の歴史的勝利に貢献したエディ・ジョーンズ氏はNHKの「奇跡のレッスン」で高校生に指導した際、選手の声についてこのように言っていた。「金曜日の居酒屋のようだ」。大きな声を出してはいるが、問題は解決されていない。「掛け声」は必要ではないのだ。
声を出すために声はあるのではなく、今この状況を味方に伝え問題を解決するためにある。この当たり前なことを見失っている指導者は多くいる気がする。
③気合いとは?
気合いとはなんだろうか?私はこの点がすごく曖昧になっているため「掛け声」によって気合いを測ろうとしてしまうのではないかと考える。
「気合い-精神を集中させてことにあたるときの気持ちの勢い。また、その時の掛け声」デジタル大辞泉より
どうやら気合いというのは精神を集中させている時の気持ちらしい。そして掛け声でもある。これについて疑問を投げかけたい。例にリオネル・メッシ選手とアンドレス・イニエスタ選手を出してみよう。彼らは言わずと知れたスーパースターである。しかし、掛け声をだして気合いを表現しているようなところ見たことがない。では、「集中していないのか?」というとそれもないだろう。
つまり、気合いというのは「掛け声」なんていうもので判断できないのだ。しかし、日本では気合いを声によって判断する文化がある。
結局、気合いがあるのかないのかというのは、客観的な判断は難しく、指導者の主観でしか判断ができなくなる。そのため選手の可能性を消さないためにも「掛け声」で判断するようなことはしてはいけない。
④まとめ
気合いというのは、あまりにも曖昧である。なので私は、集中というワードに変えた。そして集中を客観的に測れるように近くの心理学を研究している教授に学ぶことにした。これはあくまで一つの方法に過ぎない。大切なのはきちんとした方法で選手を評価し、成長させることである。
そして声は問題解決の道具であって、決して気合いを測るためのものではないことを再度確認しておきたい。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
神メンタル 「心が強い人」の人生は思い通り | ||||
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