最高のコーチングはプレーする喜びを魅せること
子供がサッカーをやりたいと感じる時、それはプレーする喜びや楽しさを目撃するときだ。私はマラドーナのプレーに魅せられてボールとたくさん戯れた。私にサッカーを教えてくれたのはマラドーナであり、リケルメでありデニウソンでありロナウドだった。
彼らはサッカーをプレーする喜びを、表現する楽しさを私に教えてくれた。彼ら以上のコーチはいなかった。
多くの育成の現場を見ていて感じる違和感は、”サッカーを教えようとしている”ことなんだと思う。
少年少女にサッカーを伝える一番有効な手段はサッカーの楽しさやプレーする喜びを大人が魅せることだと思う。
私は子供に”サッカーを教えようとしないでほしい”と本気で思っている。
ネイマールはどうやってこんなに自由自在な表現力を手に入れたのだろうか?
好奇心を刺激すること
ロナウジーニョやネイマールはフットボーラーの好奇心を刺激する。
踊るようなドリブル、魔法のようなトラップは私たちの想像を超える。そして私たちをピッチへ誘う。
好奇心を刺激できないコーチはもはやコーチではないと思う。プレーを強制し個性を矯正するような人間はサッカー界には不要である。
サッカーの喜びを表現する力がほしい もっと大人が上手くならなければならない
子供にサッカーの本質を伝える立場にいる人に求められるのは”サッカーの喜びを表現する力”だ。これがなければサッカーを伝える資格がないと思う。これは上手いとか下手じゃない。
私が言いたいのはもっと大人がサッカーを上手くなろうとしてもいいじゃないか。観て楽しむだけじゃサッカーの本質なんて理解できないよ。と
私たち大人がもっとサッカーの楽しみを表現する場所を作りたい。楽しみや喜びを表現できる力を養いたい。
サッカーは人と人を繋ぐ。仲間をつくる。喜びを生み出す。
そんなサッカーの魅力を私は伝えていきたい。
そしてサッカーをもっと日常に溶け込ませたい。
子供にサッカーを伝える前にもっと大人がサッカーを楽しまなければならない。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
月火水木金土日、毎日どこかで誰かに教えてもらうサッカーがあって、自分で楽しみを見つけたり、考えたりする時間がない。実は、自分で見つけ出した「楽しみ」こそが、ずっとサッカーを好きでいられて、もっとうまくなりたいと思える原動力になるはずなのに……それができていないんじゃないか、と思うのだ。 間違いなく言えるのは、サッカーを好きでいることはすごく大きな力になるということ。子どもたちと接すると、その気持ちを育めるようになるといいな、といつも思う。
小野伸二選手の著書『ギフテッド』より、「今の子供は教えられ過ぎじゃないか…」 - 大人になってから学ぶサッカーの本質とは
サッカーは本来、ボールと場所があれば、誰にでも遊べるものです。 でも、公園もサッカー禁止、クラブやスクールに入らないとボールを蹴る場所がない。クラブやスクールに入るにはお金がかかる。お金がないとボールを蹴って遊ぶことすらできない。 つまり、自分たちの生活で手一杯な世帯は子供にサッカーをする機会を与えることができないということになります。 これはとても寂しいことだと思うし、サッカーはやはり誰にでも開かれているものなので、その環境を取り戻したい
お金がないとサッカーすらできない環境になっている。誰でも遊べるサッカーを取り戻したい - 大人になってから学ぶサッカーの本質とは