ラグビー日本代表が魅せた戦いに多くの人間が熱くなった。
この話題はサッカーの現場でも頻繁に話題になっているし、度々エディさんの名前も出てくる。
私は話題に乗っかるのはあまり好きじゃないが、日本というラグビー弱小国と言われたチームをここまで戦えるチームに創り上げたエディ・ジョーンズという人間には興味を抱かないわけにはいかなかった。サッカーもラグビーも共通の要素は多い。形は違えど人間がやるスポーツでチーム競技である。私はエディさんの本を買ってしまった。
コーチングとは『アート』である
「選手一人ひとりにとって、何が必要なのか、それを見極めるのがコーチングにおける『アート』なんです。選手個々の能力を引き出すためには、どのようなコミュニケーションを取るべきなのか。それこそ数限りないケースが考えられるわけです。その見極めにこそ『アート』が生まれる余地があります」
私はサッカーは『アート』だと思っている。サッカーは芸術だと勝手に思っているわけだけれども、エディさんはコーチングは『アート』だと言う。私はエディさんのその感性に惚れた。
『アート』それ自体は答えを持たないものであると私は感じている。それを見る者、感じる者が答えを導き出す。そういうものが”芸術”、”アート”なのだと私は感じている。
そしてコーチングもまさに『アート』だという捉え方はとても好きだ。
「『どのサラブレッドにも早く走らせる方法はある。調教師(トレーナー)の仕事は適した方法を見極めるだけだ。』これこそがアートなんです。コーチの仕事はいかにそれぞれの人間の能力を最大限に引き出すか、それにかかっています。」
エディさんがいう『アート』とは創作する過程なんじゃないだろうか。人を育てること。チームを創造すること。そのために何が必要なのか、何を大切にしなければならないか、どのように創っていくのか。そのような創作行為はまさに『アート』なんだと
規律と楽しさは矛盾しない
「コーチングはビジネスです。しかし、ビジネスだからといって楽しんではいけないということはない。人間の活動ですから、楽しめる要素を入れるのは大切じゃないですか?」
「日本でのコーチングの難しさは、楽しむ要素が入ってきた途端に、「ディシプリン(規律)」が乱れると考えている指導者が多いことにある。」
「楽しさよりも規律」これは少年サッカーの現場でありがちな光景である。大人が過剰に管理しなければならないと思い込んでいるのが現状だと思う。
本当に大切なのは”真剣に遊べ”ということであり、”真剣に遊ぶ”ことの中には必ず規律が存在する。それはそもそも自発的なものでなければならず、誰かに強制されるものではない。
実はこのエディさんの本はこれでもまだ50ページほどしか読めていない。
この本は濃すぎる。
サッカーの本質を追求するたびはつづく…
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