他の誰かと一緒にしないでくれ
ズラタン・イブラヒモビッチという男がいる。
その個性は世界でも突出している。私は彼のプレーが好きだ。彼の言葉も好きだ。
イブラヒモビッチはピッチで自分を表現するために必要なことを教えてくれる。
決して完璧な選手ではない。しかし、圧倒的に自分自身を表現することこそサッカーでは大事なんだとイブラヒモビッチはピッチで主張している。「俺のプレーは他の誰にも真似できない」と。そして、それこそが大事なんだと彼は主張している。
他のみんなと一緒じゃなきゃいけないなんてダサすぎる
「他の人と違っていいんだ。自分を信じ続けるといい。世の中いろいろあるけれど、俺だって何とかなったぜ。」
「向かい風を浴びながら戦ってきた。(中略)『ドリブルばかりする』『あいつは間違っている』とね。それでも“俺流”を貫いてきた。アドバイスに耳を傾けるが、すべて言いなりにはならない。『聞くが、聞かない』。これが俺の哲学だ」
自分はどうありたいのかということ
誰かと一緒であることが正しいと仕向けられる世の中で、誰かと違うことをする人間は孤立しやすい。変人扱いされる。でも、本当に正しいのはどっちなんだろう?
ひとつだけ言えることは、サッカーでは誰かと同じじゃダメですよ。ということ。
これは実はビジネスの世界でもそう。誰も考えないことや常識とはかけ離れたところに成功は隠されている。でも、多くの人は誰かと同じであることを求める。世の中はそう仕向けられている。
大事なのは”自分はどうありたいのか”ということ。
サッカーで世の中に認められる存在になるには他人を圧倒する何かがないといけないのにもかかわらず、みんなと同じ様にルールを守ることに必死になる風潮には違和感を感じてしまう。他人と違う自分の個性を表現することがナンボであるというスタンスのコリンチャンスやボカの子供たちを観ていてスゴく自然体だなぁと思った。
彼らはサッカーで生きていくために命をかけていて、いかに他人と違う表現ができるかで将来が決まるかわかっているんだよね。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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