54歳で現役のプロサッカー選手、日本サッカー界のレジェンドであるカズさん。
この歳で、試合に出て結果を出すことにこだわり続ける姿勢に感銘を受ける。
Facebookページ「いだ散歩」にて取り上げられていた、カズさんの日本経済新聞の連載コラムを読んでこみあげてくるものがあった。
“サッカー人として” 三浦知良 2021年12月03日
リーグ戦も残り1試合となり、1年を振り返るころを迎えているけれども、僕にはシーズンを送ったという実感がそもそも、ない。
リーグ戦は1試合、残り1分の出場のみ。チームで公式戦の先発が1回もないのは僕ぐらいだろう。降格していくチームの助けになれず、協力もできず、自分を使えばプラスになると監督に思わせることもできなかった。誰に向けてでもなく、自分に対する悔しさと屈辱感、情けなさしかなく、チームのことを振り返る気になれない。その資格もない。
春先にケガを抱えながらの一昨年や昨年とは違い、今年は練習にほぼ皆勤して練習試合にもすべて出た。オーバーワークや詰め込みすぎに気を配りつつ、体幹や持久系などのトレーニングは必要に応じて継続的に織り込む工夫をした。チームの輪の中で毎日走れて、戦えたし、今週こそはチャンスがくると思い続けてやってきた。
けれども練習のために練習しているわけじゃない。そりゃあ精神は鍛えられて我慢強くもなれるけれど、試合という形で報われないなら割に合わない。こうして気持ちが切れていき、選手は一線から身を引こうという心境になるんだろう。
似た境遇の同僚がいる。最終節、2人してベンチに入れなかったら互いに殴り合おうと請け合った。「カズさん、スタッフの胸ぐらつかみたいです」「それはやめろ。殴るなら俺を殴れ。俺もお前を殴るから、互いに痛みを分け合おう」
持っていく場のない、マグマのような思い。とはいえパンチだと歯が折れかねないから、ビンタにしておくことにした。冗談抜きでそれくらい悔しいんだ。
頭と心は来季へと動き出している。今月から1次キャンプを敢行。数えたら今季終了から休みは8日ほどしかない。でもオフの前に一度キャンプをして、1週休んでまたキャンプ、というのが僕のあるべきリズムなので。
悔しさで煮えたぎっているくらいだから、あいにくここでしぼむつもりはさらさらない。どこでプレーするにせよ、2022年の素晴らしい自分へ、次へめがけて駆け出していく。
引用元:いだ散歩
https://www.facebook.com/yada.toranoana/posts/2176048755869931
誰もが眠っている早朝に目が覚めて、このコラムを読んでしまった。
どんなに寒くても、布団から飛び出て、自分の使命を全うせねばならないと思った。
サッカーに携わる人間として、ここまでの情熱を持って生きることができているだろうか。
持っていく場のない、マグマのような思い
カズさんはこう表現した。
少しでも日本の子どもたちにサッカーの魅力を知ってほしい。
その気持ちはずっと変わらない。子どもたちの為に、などと大仰な表現は厚かましいと思うけれど、自分の好きなこと、得意なことで誰かを幸せにするきっかけができたらいいなと思う。