縦関係の支配する日本のスポーツ文化とは違うものを、僕は海外に求めた。ただし暴力はいけないとの大前提のうえで。
体験でいえば厳しく叱ってもらって良かったと振り返ることもできる。未熟さや過ちに気づかせてくれた、叱られて救われた記憶があるのは僕だけではないだろう。
ブラジルでは暴力や体罰に頼る指導はない。ある意味、その必要性がない。なぜならダメな奴は切り捨てられるだけだから。ダメな人間を何とか引き上げ、叱ってでも矯正しようという教育的動機は乏しい。学校教育としてではなく、プロの養成としてサッカー指導がなされているから。ではそれだけでいいのか、と問われればなんともいえない。叱り方や指導法が難しいのは、答えがないからだね。いくらいい学校へ通わせ、いい教育を受けさせたつもりでも思った通りにならないこともあり、同じ教育を授けたはずが兄と弟で違った育ち方をすることも。
正解があるならそんな楽なことはない。子ども、あるいは選手を「こう叱れば」とマニュアルで考える人がいたら、少しいぶかしい。手探りながらも自分の信じる叱り方と向き合うしかなく、問われるのは信念なんだろうね。
驚いたのは、「縦関係の支配する日本のスポーツ文化とは、違うものを海外に求めた…」という部分。
少なくとも三浦和良選手は、日本のスポーツ文化に違和感を疑問を感じていたというのは事実で、それを踏まえてブラジルでの経験を経て、日本サッカーに貢献しているというプロセスはものすごく意味のあることなのではないかと思いました。
指導者による暴力や体罰問題は、未だに見えないところで正当化され燻っていて、たまに表に出てくるわけですが、この問題はなかなか本質的な解決に向かっているように見えません。
育成年代の指導者が客観性を持ち、多様性を理解し、なにより子供の個別性を踏まえた指導と、組織をファシリテーションする能力を得られるような構造が必要なのですが、なかなかそうはなっていきません。
指導者が学ぶ文化が全体に浸透していないために、現場では歪んだ指導が跋扈しているわけです。もちろん指導スタイルは多様で良いと思います。
ただ、指導する上でのベースとなる価値観、知識は持っておかなければならないと思います。そこが蔑ろにされ続けているのではないかということです。
正解がないから難しくも、面白い。それが育成年代の指導だと思います。
カズ選手の言う通り、指導者の信念が問われているように思います。