考えてみればストリート育ちのブラジル選手は、どんな条件でサッカーをさせてもうまい。いい芝生、硬い地面、ぬかるみ。様々な状況でやってきて、本当の意味で使える技術を持っている。僕自身もブラジルに渡った10代にはあらゆる悪条件でサッカーをした。「こういう場でもプレーできなければ、本物じゃない」と言い聞かせながら。
経験とは、いろんな条件の下で戦い、生きてきた幅のことだ。そして生き残るということは、状況に順応できるということ。理想の条件ばかりは望めない。言ってみれば、僕らには泥沼しか与えられていない。それでも合わせていく。それを「力」とも言い換え得られるのだろうね。
南米サッカーの強さは適応力
中南米をひとり旅していた時、立ち寄った旅先でボールを蹴っている光景を目にすると、よく混ざってプレーしました。街中の公園、バスケコートを改装した臨時サッカーコート、駐車場にゴール(らしきもの)をつくって試合。
雑草だらけの凸凹のコート、コンクリートの上、砂利だらけですべりまくるコート、石畳で不安定な路地…
あらゆる環境でサッカーが繰り広げられていました。裸足でプレーする子、なぜか利き足だけシューズを履く子、利き足だけ紐を結ぶ子、スリッパでプレーする子、日本では信じられないような環境、状態でサッカーを楽しんでいました。
時には音楽をかけながら、時には近所のおばちゃんの罵声を浴びながら(笑)
「下手くそがいつまでやってんのよ。早くどこかへいきなさいよ。うるさいのよ!」って洗濯物を干しながら永遠に文句を言っている太っちょのおばちゃんがいたのはグアテマラのアティトラン湖近くの街の路地サッカーでした。
子どもたちも「おばちゃんあとでなんか手伝うから、あと5分」とか言って永遠に終わらないという(笑)
彼らは物理的な環境にフィジカルを適応させ、人とのコミュニケーションにも適応していく。
そんな姿を目の当たりにし、自分もその中でプレーして、色んなことを感じることができたのは本当によかったなと思います。
そんな原体験があるから、カズさんの話も、エコロジカルアプローチの話も共感と興味があるのかもしれません。
南米サッカーの強さの理由は適応力と言えるのかもしれません。日本とは全然違います。コミュニケーションの量も質も、未整備な環境も、それを楽しもうとする姿勢も。
彼らはルールを守るよりもつくることを楽しんでいるように見えました。
僕らはルールを守ることばかりを大事にして、ルールを作るという発想に乏しい感じがします。
エコロジカルアプローチの本を読みながら思うのは、そもそもの発想を展開していく力が僕たちには必要なのかもしれないということ。
クリエイティビティの起点は、捉われないこと。
決まり事の多さ、そしてそれを強制され過ぎて、思考がロックされがちな日本という国に生きる僕らはもう少し南米的なスパイスを入れる必要があるような気もします。