サッカーは誰かに教わるよりも、自分でプレーを生み出す方がはるかに面白い
小さい頃、私はサッカーは教わるものではないと感じていた。周りのみんなとは一味違うプレーをしたかったし、魅せたかった。
私のコーチたちは、サッカーはこうやってやるんだよ!というようなことは一切言わなかった。練習が終わると家に招き入れてひたすらマラドーナやカントナのビデオを魅せてくれた。
私たちは居ても立ってもいられずボールを持って公園へ走ったものです。
そして、頭の中に焼き付けたマラドーナのプレーを表現しようとひたすら練習をしたのです。
私のコーチはサッカーを教えない代わりに、本場のサッカーをたくさん魅せてくれた。
サッカーを教えない代わりに、一緒にサッカーで遊んでくれたのです。
この経験がジュニア年代の私の指導観のベースにある。
サッカーはクリエイティブなものであり、人とは違う表現を生み出すことが面白いものなのです。
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強制や矯正はサッカーの本質を奪う。
いや、教育の本質に通じる話だと思います。
人は好奇心を持てば主体的に学び、上達していくものなのです。
教えなければならない。伝えなければならない。と必死になるほど本質は伝わらないものです。
ましてや強制や矯正は好奇心や主体性を奪い、サッカーを人から遠ざけてしまう愚行です。
サッカーの面白さとは
駆け引きで勝り、相手の創造を超えるプレーが表現できたときほど面白く、楽しい瞬間はない。そのために相手の想像もつかないようなプレーを考え、イメージし、開発するのです。
相手との駆け引きに勝つためのパターンをいくつも用意し、それをドリルのようにトレーニングする… そんなチームが増えたけれど、想像する喜び、創造する面白さを伝えることができなければサッカーの本質はいつまで立っても伝わらない。
教えられないプレー
こんなプレーを20人の選手に一律に教えることなどできない。
サッカーは感覚が多くを占めるものなのです。
ボールタッチの感覚、相手との駆け引きの感覚、これらは「教える」ことは不可能で、ひたすら相手との駆け引きを体感し、相手を上回るために技を磨く、この真剣な遊びを繰り返した先にしか得られないものです。
子供にはサッカーを教えることよりも、サッカーを好きにさせること、上手くなりたいという心に火をつけることが大切なのだと、私が少年時代のコーチは教えてくれました。
勉強ができることよりも、感性を育むことのが大事。美醜の感覚、善悪の基準、これらは個人に依存する。多様で良い。本当に美しいものをたくさん見せ、感じさせること。なぜ美しいのか、なぜ醜いのかに疑問を感じることから本当の勉強が始まる。
— Kei Imai (@Keivivito) July 26, 2018
現代サッカーに不足してるのは野生感。そう感じる。上手い選手は増えた。しっかり教育された優等生が増えた一方で、野生的で予想外のプレーをする選手は減った。
— Kei Imai (@Keivivito) July 28, 2018
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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