東京都内の某公園に息子と訪れたときのこと。
公園ではサッカーで遊ぶインドの子たちがいました。彼らは自転車と自転車の間をゴールにして5対5くらいでミニゲームを楽しんでいました。
その横にはサッカーの家庭教師的なマンツーマンの熱心な指導を受ける日本の子がいました。
象徴的な光景だなと思いました。
サッカーで遊ぶ子達と、サッカーを教わる子。
一緒に混ざってプレイする方が、サッカーの本質を学べるのにな。
僕がサッカーの家庭教師なら、インド人の子たちに混ぜてもらってプレーする術を学ぶのになと思いました。
サッカーの本質は遊び
サッカーが普及して、Jリーグができて、日本代表はW杯常連になり、海外のトップリーグで活躍する選手も増えました。
しかしながら、子供を取り巻くサッカーが商業化してきたことと、体育会系の勝利至上主義文化が絶妙に融合しているかのように、サッカーをするすべての子はプロを目指すもの!とまではいかなくとも上手くないとやっちゃダメみたいな無意識のバイアスが蔓延して、子どもたちが、サッカーが消費されているように感じることがあります。
子供も親もコーチもみんな上を目指して一生懸命サッカーをしなきゃいけない空気感。
遊びでやるなら時間がもったいないと実際に感じている大人が余白を取り戻さないといけないのではないかと思うことがあります。
サッカーするならプロを目指さないといけないんですか?
ジュニア年代、それこそ最低でも小学生くらいまでは心のゆとりを持って、ゆっくりと子供を育てるべきなのではと思います。
中学高校以降の競技思考になってはじめて上を目指すかどうかの議論にならないと、子どもたちはしんどいと思います。
小さい子どもたちがどんどん選別されてサッカーを辞めていく。
上手くなきゃサッカーやっちゃダメなんだ、上を目指さなきゃサッカーはやれないんだと子どもたちはすりこまれていく。これじゃサッカー文化は育まれない。
子どもには全員試合に出る機会があった方がよいという記事を書くと、未だにこのような反応があります👇
「頑張れない、レギュラーになる発想がないならスポーツやめたほうがいい」
「プロになる見込みがない子どもになぜサッカーさせるの?」
レギュラーになる発想がなきゃスポーツやっちゃダメなんですか?
プロになる見込みがないとサッカーやっちゃだめなんですか?
昔、中南米を一人旅していた時のことです。グアテマラという国でストリートサッカーに混ぜてもらったとき、本当にびっくりするぐらい下手くそな人たちが、思いっきりサッカーを楽しんでいる光景に衝撃を受けました。 日本だと馬鹿にされるレベルの大人から子どもたちが、下手なことなど微塵も気にせずサッカーを本気で楽しんでるんです。もちろん中には上手い人もいますが。普通、下手なプレーすると恥ずかしがったり、遠慮するのが私たちの文化ですが、これがまったくないわけです。 (グアテマラの友たち、下手って言ってごめん) サッカーって本来、上手い下手関係なく楽しめるものなんですよね。下手な奴は帰れっていう人がいないだけで、サッカー文化はもう少し育まれるような気がします。
近所の子供たちとボール蹴って感じた、上手くなきゃサッカーやっちゃいけない空気感 - 大人になってから学ぶサッカーの本質とは