もっと自然体でプレーできる子を。
もっと自然体で生きることができる環境を。
サッカーを通じて、そんなテーマを考えているながで最近ドンピシャだった3つのnoteをご紹介します。
エコロジカルトレーニングとは
福岡のエリア伊都で育成年代に携わる有坂さんのnoteに、とてもとても興味深いことが書いてあったので紹介させてください。自分もとても興味があるテーマなのですが、有坂さんのこの視点は本当に素敵だ。
制約を設計して
その環境を操作し続けることで
選手たちの行動を自然と引き出し
その結果、能力をも引き出していく。そして能力は
その選手の身体に最適化されたものとなる。変化の中から、変化しないものを学んでいく。
経営学者の楠木健さんが言っていたこの考え方も
エコロジカルトレーニングに通ずると思います。「 センスは直接的には育てられません。
だからと言って
生得的な " 天賦の才 " では決してありません。
育てられないけども、育ちます。
他動詞ではなく、自動詞の " 育つ " です。
センスは自ら錬成するものです 」選手たちを育てるのではなく
選手たちが育っていけるように。付け足して作る造形作品のようにではなく
削り落として形にしていく木彫り作品のように。選手の数だけ形はある。
だからまずは、想像できる自分に。
そして、なにより、信じて待てる自分に。
サッカーはこの上なく生を実感するもの
南米のウルグアイで奮闘する中村勝選手のnote。
生きている実感を得られるサッカーって日本ではなかなか味わうことができなくて、私自身も南米のサッカーを体感してから、この感覚を得られるようになったので中村選手の感覚は本当に共感します。
サッカーとはよく人生そのものと表現される。
そのとおりだと思う。
なぜか。
人間の持つ感情を人生においてそれ以上はないと言えるほどに揺さぶり、湧き起こし、爆発させることができるから。
これ以上なく生を実感する瞬間。サッカーは最も人間らしく、汚く、ずる賢く、それでいて愛に溢れたスポーツ、遊び。大人を子どもにし、人本来の姿を映し出す。ウルグアイでサッカーをしているとそう感じる。
センスオブワンダー
八ヶ岳の大自然でサッカーと子どもたちと生きる田畑さんのnote。
私たちが忘れてしまいがちだけれども、とてもとても大切なことが記されたnoteです。
サッカーが上手くなる代わりに、子どもの感性が失われるなら、サッカーなんてやらない方がいいと思います。
多くの現場で、子どもを強制(矯正)してしまって、大切なものを台無しにしてしまっている可能性があります。
指導する大人は無自覚に、無意識に、良かれと思ってやっていることなので、とても難しい問題なのですが、私たちは学び続け、自分たちを客観的に見ることができるようにならなければなりません。
子どもの感性を育みながら、サッカーも上手くなる環境はつくれる。
八ヶ岳にそんな環境があります。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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