数年前、某ジュニアの強豪サッカーチームの指導者の方の言葉が引っかかっている。
ローカルの大会で、子どもたちの試合を見ながら、「日本もコーチングの質が変わらないといけませんよね」などと、指導者仲間の数人で話していた時のことです。
目の前で行われている指導者の厳しい言葉が飛び交う試合を見ながら、某強豪チームの指導者の方が、こんな話をしてくれました。
「どんなに綺麗事言っても、煮ても焼いても残る個性がプロになる。うちからJに行った連中もみなそう。煮ても焼いても残るやつだけが生き残る。それがプロの世界」
その言葉がずっと頭に残っていて、この違和感はなんだろうと考えていたのですが、最近、違和感の正体がわかったような気がします。
先日、某ジュニアクラブのコーチをしている友人が、こんな話をしてくれました。
「ジュニア年代って、普及を目的としたクラブと強化を目的としたクラブが入り乱れているけど、普及っていうクラブがいても中途半端で、結局目先の勝利を大人が求めちゃう。仕組みとか構造を変えるには大人の頭が変わらないといけないけど、それが本当に難しい」
先述した強豪クラブの指導者の方は普及よりも強化を目的としたコンセプトでクラブを運営していて、保護者や子どもたちの多くは上手くなる為、強くなる為に厳しい練習も受け入れています。
そういうクラブからすると、普及と言いながら中途半端に強化をしようとして問題になるクラブや、ジュニアの行き過ぎた指導を問題視して発信する人間は時に疎ましいと思われるのもわかります。
ちゃんと強化をしているクラブまでちょっと厳しい側面を見せると問題視されたらたまらないということです。こういう話は私も何度もされました。
ジュニア年代といえどそこにはニーズがあって、それに応えるクラブがある。そして、健全に指導しているクラブも確かに存在しています。
それでも私は、煮なくても焼かなくても個性は輝くということを伝えていきたいと思います。
ビジャレアルで育成に携わる佐伯夕利子さんの著書「教えないスキル」にも、主体性を育む指導の重要性、日本的な厳しさをなくしていくことの重要性が記されています。
サッカーコンサルタントであり、市川ガナーズの代表の幸野さんも著書でこのように書かれています。
「僕たち指導者には、選手に対する責任がある。長い目で見たときにサッカー界にとってどうなのかという、広い視点をもってほしいんだ。 全員を出しながら、強化を図って、チーム力を上げていくー。一見すると二律背反することを、その間でもがき苦しみながらやっていくのは、指導者としての経験値を高めるという意味でも大きい。」
つまり、普及と強化はセットでできる可能性があるということです。
考え方を変えていくことで、これまでできなかったことができるようになると思います。サッカーの魅力をもっと子どもたちに広めていく為に、私たちにできることはまだたくさんあります。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…