アルゼンチンでは子どもの指導者ほど優秀であるべきと考えられている
アルゼンチンでは若年層を担当する指導者こそ、多くの引き出しを持った優秀なコーチであるべきだと考えられています。というのも、若い子は安い値段で契約できる。安く買ったダイヤの原石を将来、高く売るためには、素材が柔軟なうちに才能を引き出さなければなりません。100万円で契約した13歳の少年が7年後、3億で売れたら、彼を連れてきたスカウトと育成部の指導者は莫大な利益をクラブにもたらしたことになります。
子どもを指導するコーチほど優秀でなければならないのでは?
大学生の頃、サッカーコーチを始めてすぐ感じた疑問はこれです。
小さな子どもにサッカーを教えるというのは、当然、サッカー以外の教育的な部分も含まれてくるわけです。
姿勢や態度、振る舞い、言葉使い、むしろサッカー以外のことを伝えなければならない局面の方が多い。
しかし、育成年代の現場を見れば見るほど、信じられない指導者を目の当たりにする機会が増えました。
この人たちは本当に指導者なのか?
なぜこのような指導という名の誤った解釈が罷り通っているのか、不思議でなりませんでした。
子どもを調教するかのような大人の態度、コーチングという名の暴言、暴力、嫌というほど見てきました。
しかしこれらは部活動の歴史、日本の教育の歴史を学ぶと、その理由の一つが日本の教育文化にあるということが分かってきました。
それが大人の社会のハラスメントにも繋がっていて、子どもの教育に戻ってきているという負の連鎖です。大人社会がそのような構造で、その中には学校教育も当然含まれています。
また日本は島国であり、日本語という独自言語を扱うという文化の中において、極めて同質性が高くなりやすく、多様性(客観性)を理解する機会がないというのも問題を捉えるきっかけが得にくいように思います。
指導者の地位が低いという課題
よく育成年代の指導者の地位が低い、給与が安い、それだけで食べていくのは難しいという話を耳にします。
これは仕組み、構造の問題だと思います。
アルゼンチンのように、育成年代に価値が還元される仕組みがない(育成還元金など変化の兆しはあります)という課題とサッカーそのものの価値が低いという課題があるように思います。
サッカーが強い国は、サッカーに積極的に投資します。予算が違います。
それでも日本は世界の強豪国を倒すほど強くなってW杯優勝も狙えるところまできたという意見もあると思いますが、サッカーというスポーツは差が見えにくいスポーツです。レベルが上がれば上がるほど見えにくくなります。
カタールW杯のドイツ、スペイン戦、勝利しましたが、彼の国よりサッカー強い国になったわけではありません。実力差があっても勝つことがあるのがサッカーというスポーツです。
日本がW杯に優勝する可能性は少ないながらあると思います。でも日本が世界で一番サッカーが強い国と認識されるという話は現実的ではないと思うわけです。
サッカーが強い国は、育成年代に投資しています。サッカー文化に投資しています。
つまり、育成年代の指導者も、プレーする環境も大切にすべきだということです。
育成年代に適切に投資できないと、世界のサッカー大国の仲間入りは難しいように思います。