「はずれ者が進化をつくる」より引用↓
「雑草を育てるのは大変だ」と言いました。
そして、それは「思うとおりに育たないからだ」と言いました。
思うとおりというのは、「人間が思うとおりに」ということです。
雑草にしてみれば、何も思い通りに育つ必要はありません。
思い通りにいかないと大騒ぎしているのは、人間であり植物学者の私です。
本当は、雑草にとっては、芽は出さなくてもいいのです。
成長がバラバラなのが、雑草の大切にしている価値なのです。
しかし、それでは私が困ってしまいます。
私は、思い通りに雑草を育てたいと思っていますし、実験をするためには、バラバラではなく、雑草に揃ってほしいと思っています。
もっとも雑草は、人間に育てられたいと思っているわけではありませんし、ましてや実験してほしいと思っているわけでもありません。
雑草はバラバラでも、困りません。バラバラだと困るのは、管理する人の方なのです。
私たちの世界には、管理する人がいます。学校には先生がいます。会社には社長さんがいます。国には総理大臣や偉い人たちがいます。
バラバラであることに価値があるのは、誰もが認めています。
しかし、バラバラでは管理するのが大変です。そのため、人間はバラバラであるものを、できるだけ揃えようとします。バラバラであってもいいけれど、あまりバラけ過ぎないように、ある程度の枠を設けます。
勝手に育つ、育ちやすい環境をいかにつくるかを考えるようになった話
はじめてサッカーのコーチのアルバイトをした時、子どもたちを統制しないといけない、正しいことを教えないといけないと思いました。
それこそが求められていると思っていたし、やるべきことだと思っていました。
でも、子どもたちと接しているうちに、色んな個性を知ることになります。
従順な子もいれば、そうではない子もいる。身体能力の高い子もいれば、そうじゃない子もいる。
成長が早い子もいれば、遅い子もいる。
そんな子たちを統制したり、教え込むことは本当に正しいことなのだろうかと思うようになりました。
統制することで、教え込むことで、子どもたちの大切な何かが損なわれていく感覚を覚えるようになりました。
指導する自分自身が勉強不足であることを、現場で経験を重ねれば重ねるほど実感するようになりました。
教えることよりも、勝手に育つ、育ちやすい環境をいかにつくるかに注力するようになりました。
その結果、子どもたちは勝手に上手くなっていったのです。それぞれのスタイルを模索しながら、誰かと同じような「上手い」ではなく、自分らしく「上手い」を追求するようになりました。
指導する僕らもそのように仕向けてきたわけですが、常に強いチームができない代わりに独自性のある面白いチームになっていきました。
冒頭にご紹介した本の引用を読んで、サッカーコーチをはじめてからのことを思い出しました。
色んなコンセプトのチームがあっていいと思います。ですが、子供を画一的な教育の枠にはめてしまうことで、損なわれてしまうことがあることを知ってほしいと思います。
スポーツクラブ以外でも、仕事でマネジメントをする立場になっても同様のことを思います。一人ひとりの”らしさ”は強制的な指示によって簡単に損なわれます。
子どもたちに対しては尚更大切にしていくべきなのかなと思います。