ゴールを喜ばない子どもたち。
下手な子に対して子どもと一緒になって否定する親。
勝つことだけがサッカーの楽しさだと言わんばかりの指導者。
少年サッカーではまだこんな光景を目にしたり、聞いたりする。
いつも感じます。
サッカーの本当の楽しさを感じられていない子ども、感じさせてあげられていない大人がいると。
サッカーの本当の楽しさを感じることなくサッカーから離れていってしまった子たちをぼくは何人もみてきました。
いまだにサッカーの本当の楽しさを感じさせることができない指導者が存在し続けることを知るたびにぼくは心が痛む。
でも、そんなときにサッカーの本当の楽しさを教えてくれる人たちがいる。
それはサッカー王国出身のブラジル人たちだ。
ぼくが住む静岡県西部地区は工業地帯が多く、出稼ぎにきているブラジル人たちが多く住んでいる。ブラジル人同士のつながりは強く、とても広い。 友人とブラジル人のサッカーコミュニティに誘われるたびに、ぼくはサッカーの本当の楽しさを体感する。
日本にいるのにブラジルでサッカーをしているような不思議な感覚。
彼らにはサッカーの本当の楽しさが心と体に染みわたっている。
サッカーの本当の楽しさとは?
ブラジル人コミュニティで彼らと一緒にサッカーをしたときに感じる本当の楽しさ。
日本サッカーはまだまだ発展途上ですが、ブラジル人である彼らが創り出す、心から楽しいと感じる雰囲気。
その要因は大きく分けて3つあると感じています。
本気の遊び、リスペクト、分かち合いの3つだ。
本気の遊びとは
サッカーには遊びが大事だとよく聞きます。でも、サッカーで遊びというと日本人とブラジル人の遊びの感覚には違いがあります。 ブラジル人コミュニティには10代~40代くらい。
「レベル」と言ってしまうと参加しているブラジル人の皆さんには大変失礼になってしまうが、初心者っぽい人から競技チームに所属している人など、様々いる。 そんな中に、ぼくと友人を含めて3人の日本人を混ぜてもらう。
適当にチーム分けをして、数分ずつとにかく試合を繰り返す。
年齢もレベルも様々な人がいるなかでの試合はとにかく新鮮で楽しかった。 特に一番印象に残っていることがある。
ブラジル人たちと一緒にサッカーをしたときに印象に残ったシーン
お世辞にもあまり上手ではないブラジル人(仮称ジオゴ)が競技チームでプレーしているブラジル人(仮称ドゥドゥ)にパスをしたとき、ボールが大きくズレてミスになってしまった。その瞬間、ドゥドゥが物凄い勢いでジオゴに怒った。そしてジオゴもドゥドゥに怒った。 ぼくは心の中で「そんな怒らなくても。。。ジオゴがミスするのはしょうがないでしょ。。。」なんて思った。
しかし、ドゥドゥは「パスが通っていれば1点取れた!しっかりパス出せ!」と決定的な場面でのミスを物凄い勢いで責めた。 それに対してジオゴも同じような勢いで「お前がもっといいタイミングで走ってこい!」と言って口論し始めた。口論しながらも試合は進み、プレーは再開され少し時間が経つとお互いプレーを再開した。
日本人だったらと一括りにしてしまうのは良くないが、遊びのサッカーというとレベル差があってミスをしてしまったら、お互いに「あっ、ごめん。」「いいよ、いいよ」となるけれど、彼らは本気になって口論していた。
それはジオゴやドゥドゥだけでなく、参加していたブラジル人みんながそんな感じだった。遊びなんだけどみんなが本気。しかも、そこにサッカーの技術があるとかないとか、上手いとか下手とかそんなことをいちいち感じるのではなく、もうとにかくみんなが本気。遊びなんだけど本気ではなく、遊びだからこそ本気なのだとぼくは感じた。
サッカーを本気で遊んでいる。ぼくはそうみえた。
リスペクトがあるからこその口論
ジオゴとドゥドゥや他のブラジル人たちのプレー中の口論をみてぼくが感じたのは、ただ自分の主張をしているのではなく、そこに相手へのリスペクトがあるということ。
ポルトガル語を話せる友人に休憩しているときに「彼らはなんて言ってたの?」と聞くと、ドゥドゥは「お前なら今のは正確にパスを通せるだろ?!なんでだ?!パスが通っていればゴールを奪えた。ビックチャンスだった。」 ミスそのものに対して怒るのではなく、お前なら正確にパスを出せるだろ。なんであんなミスをしたんだ。と、お世辞にも上手くないジオゴにドゥドゥはそう言っていた。
上手い下手関係なく、みんなボールを蹴ることが好きで集まり、ボールを蹴ることが楽しくて集まっている。そんな彼らだからこそ、そこに上手い下手とかはなく純粋にサッカーを楽しむ心があるからこそお互いにリスペクトし合えるし、本気で遊んでいるのだと思った。
ゴールをともに分かち合う
本気で遊び、お互いを心からリスペクトし合っているからこそ、ゴールを決めた時の喜びも大きい。ゴールを決めれば大きな声をあげ歓喜してそれをチームの仲間が祝福する。そして一緒になって分かち合う。 ゴールをともに分かち合う彼らの中にぼくもいつの間にか溶け込んでいた。
本気で遊ぶ、リスペクト、分かち合う、この3つの中で一つでもが欠けていたら彼らとサッカーの楽しさを感じることはできなかったと思う。
サッカーの本当の楽しさを感じられる文化が日本にも根づき、広がればもっと強くなれる。そう確信している。
書き手
サッカーの本質を追求する旅はつづく…