伊坂幸太郎さんの「逆ソクラテス 」という本をご存知でしょうか。
2020年に読んだ本の中でも、特に印象に残っている本です。
テーマは日本社会、教育における「先入観」で、大人が持つ先入観を、子どもたちがどうにか崩そうと奔走するのですが、学校やスポーツクラブのあり方に違和感を感じる人たちには、刺さる内容だと思います。
「アンスポーツマンライク」というお話の中から、一部を抜粋して紹介させていただきます。
子どもの敵は先入観。大人の敵は無意識の先入観
昔はどこぞの名選手だったという、始終、怒鳴ってばかりの、おじいちゃんだった。おじいちゃんとはいえ、僕たちよりもよっぽど元気が良さそうで、試合となれば開始から終了まで声を張り上げ、ミスをした選手を大声でなじった。嫌だな、とは思ったが、そういうものだろう、と諦めていた。みんなとバスケをやるためには、このおじいちゃんの 罵声 に耐えるしかない、と。そもそも試合をしてみれば、怒っているコーチはうちだけではなかった。全員とは言わないが、それなりに多く、これが普通なのかもしれない、と子供としては思っていた
ーー中略ーー
練習中、指示通りに僕たちが動けなかったことによほど腹が立ったのか、おじいちゃんコーチは 癇癪 を起こしたように怒鳴った。そして、その時にプレイを誤った三津桜に対して、ああだこうだと説教をはじめたのだ。 そこにやってきたのが、三津桜そっくりのお母さんだった。迎えに来るついでに練習を見学していくつもりだったのだろう。年齢も若く、僕の親より十歳は下だ。「離婚したお父さんはヤンキーだったらしいけれど、お母さんは違う」と三津桜が言ったことがある。 その三津桜の母親が、コーチに言ったのだ。「あ、それ効果ないです」
コーチは顔を赤らめ、怒りのために震えていたが、三津桜の母親はまだ続けた。「あ、でも、コーチがほら、いらいらを発散させたいとか、感情を抑えきれないで怒鳴りたいだけでしたら、ぜんぜん構わないですからね」とこれもまた、保育園の先生が幼児に言うかのように、言った。「うちの三津桜はまったく怖がらないので、ちょうどいいかもしれません」
後で子供だけになった時に駿介が、「言われてみればさ」と口に出した。「いい大人が、小学生にあんなに顔を近づけて、怒鳴りつけないと教えられない、って時点で、恥ずかしいよな」 確かにその通りだ。「三津桜みたいに怖さを感じない奴がいたら、怖がらせる以外に指導方法を持ってない、そのコーチ、詰みじゃん」
割とよくある話ですよね。少年サッカーでも、野球でも、このような光景は週末にグラウンドに行けば、多くの場所で見ることができると思います。
考えてみればおかしなこと、理不尽なこと、非科学的なことってたくさんあるんです。多くの大人は無意識に、いや良かれと思ってやっていることなんですね。
自分が受けてきた教育を疑うことなく、同じように子どもは育っていく、鍛えられていくと思ってやっているんだと思うんです。
気が遠くなるほど怒鳴られて、それでもめげずに続けたからこそ成長できたと。
気が遠くなるほど走らされて、それでもめげずに続けたからこそ成長できたと。
言われたことを忠実に実行できることが、よい子どもなのだと。
子どもたちに成長して欲しいと思ってやっているんだと思います。
ただ、その人たちが受けてきた教育は、その時代に最適化されたものであって、今の時代に最適化されたものではなかったりしますよね。
全体主義的な教育、つまり個性よりも全体を重んじる教育です。
昔はこうだったからという理由だけで、それを適用するのはあまりにも思考が足りていない気がします。バスケはチームでプレーするものです。一人ひとりの子どもたちの個性をどう輝かせ、チームとして調和することができるか、それをオーガナイズするのが指導者の役目です。決して恐怖で支配することではないと思います。服従させることではないと思います。バスケが嫌いになってしまっては本末転倒です。
大切なのは無意識の先入観に気づくこと
これしかないと思います。もうその指導では子どもはついていかないよ。親も預けないよということだと思います。しかし、まだ預ける親も無意識の先入観に捉われてしまっているからこのような指導をするチームがたくさんあるのだと思います。
大人が無意識の先入観に気づく為には、常識を疑う、先入観を疑うという感覚が必要です。
おかしいことをおかしいと思えることはとても大切なことです。
子どもがオーバーワークで怪我をしたり、過剰な指導で怪我を負わされたり、トラウマで心に傷を負ってしまったり、そのような話をたくさん聞いてきました。いまもたくさんあります。
それでも、簡単に指導者は変わらないんです。なぜなら周りの大人が変われないからです。ひとりや二人、おかしいことをおかしいと声を上げても、その他大勢の先入観に捉われた大人にかき消されてしまいます。
先入観とは恐ろしいものです。昔のやり方で結果が出たら、そのやり方を変えられないんです。犠牲の上に得た結果であっても。。
子どものスポーツが大人のエンタメになってしまっているわけです。楽しく健全に楽しむスポーツが過剰に結果を求められてしまうのは、大人の先入観に他ならないと思います。
「子どものスポーツはそういうもの」
「勝ってナンボ、勝たないと成長しない」
「厳しくしないと子どもは成長しない」
「楽しんだら負け、苦しみを乗り越えて成長する」
このような先入観がある指導者は下記のような発想になることは難しいと思います。
「楽しみながら上手くなる指導法」
「怒らないコーチングで子どもの潜在能力を引き出していく」
「子どもは真剣な遊びの中でこそ成長する」
大切なのは敵を知ることなのです。
敵は、先生や指導者ではなく無意識の先入観です。
簡単です。みんながこの敵の存在に気が付くことです。
ぜひ、この本を読んでみてください。そして、先入観に捉われている人に薦めてください。