世界中から集めたサッカーのイイ話をまとめた素敵な本があります。
この本の中から私の好きな話をひとつご紹介させて頂きたい。
サッカーの本質に迫る話です。
宝物のボール 〜トルコ〜
サッカー小僧はボールを大切にするものだ。
ハシムは友達とお金を出しあって、ゴムボールを買った。
その瞬間から、そのボールはハシムたちの宝物となった。
街角はサッカー場
ハシムは近所の子供たちで作るサッカーチームの一員だった。
チーム名は「イスタンブール・スポル」といった。いささか大袈裟な名前だが、どんな名前をつけようと自分たちの自由だ。
相手チームが見つかると、時間と場所を決め、人数を揃えて、いざ試合開始となる。
昔懐かしい“果し合い”の感覚だ。
場所はどこでもかまわない。
路地裏、空き地、果ては道路の中央分離帯までもが、即席のサッカー場になる。
ただし、街中でやるものだから、時にはさまざまなトラブルが起きる。
蹴ったボールが民家の窓を割り、家の中の食器が粉々に砕け散る。
当然、サッカーをしていた子供たちはこっぴどく叱られることになる。
だからといって、サッカーを止めさせようとする大人はいなかった。
なぜなら、自分たちもそうしてきたし、大人になった今でも、子供たちと同じように道端でプレーするからだ。
遊び場がなくなれば、サッカー文化は育まれない
サッカーの本質は“遊び”なのです。
真剣な遊びの中で、子供たちはどんどん学び、上手くなっていく。
遊び場がなくなっていく日本、つまりプレーする場がなくなっているということ、これは我々大人が危惧するべき最も大きな問題だと私は思う。
サッカーは教えなくていい。
プレーする場がなければサッカー文化は育まれない。
もっと我々大人が寛容にならなければならない。
環境をつくらなければならない。
サッカーは学校では教えられない
大人になったハシムさん。やっぱりいまでもサッカー好きをやめていない。
仕事が休みの日には、息子さんとボールを蹴っている。
「サッカーは教わるものではありませんよ。子供同士のサッカーが一番上手くなるはずです。私のテクニックは誰かに教わったのではありません。見て、やって、自分で覚えたんです。」
「すべてのことがそう。勉強も、仕事も、商売も。みんな自然に身に付けるんです。
自然に覚えられないものは、絶対に上手くいかない。成功しません。教室でわかるのは、向いているか、向いていないか。それだけです」
「サッカーは学校では教えられない」
そう語るハシムさんの言葉には、街角で育つトルコサッカーの本質が滲んでいる。
【参考図書】:サッカー誰かに話したいちょっといい話—世界中から集めた
サッカーは教えることよりも、プレーさせること。
自分の表現は自分で磨け!ということなのだ。
大人の仕事は、子供たちに“遊び場”をつくらせるように仕向けること。
そしてサッカーというクリエイティブな遊びに対して、もっと寛容にならなければならない。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
こちらもサッカー愛に満ち溢れた一冊↓
素晴らしいエピソードが沢山詰まっています。