チームの為の個人ではなく、個人の為のチーム
こういうことを言うとたくさんの批判がくるかもしれない。しかし、私はチームの為に個性が失われる様を多く見てきたし、自分自身もチームの為に自分を殺さなければならず非常に苦しい思いを経験した。そしていま、自分なりの答えを出すことができた。
チームが機能するときというのは一人一人の個性が機能しているときである。
組織はさまざまな個性が集まるほど活性化する。組織が個性をなくさせるの
だったら、そんな組織はないほうがいい。私はそう思う。
日本は個性を失わせるよう仕向けられている
あなたは「しなければならない」「してはならない」という学校で育てられ、それによって思考と感情を破壊してきたのです。あなたはシステムや方式、教師たちによって縛られ不具化されてきたのです。だからそれらすべての「しなければならない」「してはならない」を捨てなさい。
— Krishnamurti (@krishnamurtibot) August 24, 2015
貧しい国、「発展途上国」に行くと、子どもたちが、とにかくおもしろがって生きてる。「しなければならない」「してはならない」というのがないから生き生きとしている。もちろんお金はなく貧しい。抑圧された自由であるが「生きるのがおもしろい」っていうのが大前提。そう感じられない社会や組織のほうが、やっぱりおかしい。
個性は"誰かと一緒"をやめたときに輝き出す
ああしなさいとかこうしなさいとか、そういうものはもう本当にどうでもいいのだと思う。大事なのは「ああしたくなる」とか「こうしたくなる」ような、(他人から強制されるんじゃなくて)自分から動き出したくなるような空気感で、そうじゃないと、自分の行動を他人の責任にしてしまう。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) July 22, 2015
日本という国は自殺者が毎年3万人以上もいて、うつ病になる人が毎年10万人を超えるという以上な社会である。こんな社会に適応する為に必死に努力をしているわけだ。
知らないうちに個性は殺される。周りに流されているといつのまにか自分は消えて無くなる。ではどうすればいいか?
常識を疑い、自分の頭で考え、自分で判断し、行動し、結果を出す。その連続しかない。
これはまさにサッカーと同じ。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…