日本の育成年代を代表する指導者の一人、池上正さんの著書の一節をご紹介させていただきます。
練習のための練習になってしまう
ある地域のトレセンの6年生を集めた練習会で見た光景です。
ゴールを置かずに、6対3でボールをキープするポゼッション(ボール所持)の練習をしていました。
6人側がパン、パン、パンと少ないタッチで小気味よくボールを回します。守備側の3人はまったくボールを取れません。「へえ、やりますね」と私が言ったら、担当コーチたちは何となく誇らしげです。
ところが、ゴールをつけてゲーム形式にしたら、ボールは回るのですがゴールにまったく近づけません。外側でパス交換をしているだけです。どんどん外側へ追い出された末に3人側のほうがいいポジションへ走り込んでシュートまでもっていきます。
「あれれ。これはどうなっているんでしょうね?」
私は思わず声をあげてしまいました。「ゴールがなかったらボールはよく回っているけど、ゴールが出てくると攻撃ができないね。この練習の意味は一体なんでしょう?」ゴールを目指すのがサッカーなのに、それぞれがボール回しをしているだけになっているのです。
ちょっと前まで自慢げだったコーチたちは、がっくり肩を落としています。
これを読んで、外国人リーグでプレーしていたときのことを思い出しました。
8割が南米出身者、2割はヨーロッパ出身者のチームだったのですが、練習でも試合でもとにかくゴールへの意識が強いんです。縦への意識が日本のチームと比べて強いんですね。
日本人のチームと試合をしたときのことです。
ボール扱いの技術や、パスを回す技術は日本人チームの方が上手く、僕らはボールを持たれ続ける展開になりました。
でも、ゴールへの意識というか、ゴールへの執念が弱く、最後の最後で守ってカウンターという展開で結局2-0で勝利しました。
試合を通して感じたのは、ゴールする為、勝利する為の意識よりも、自分たちのプレーをするという意識が強いチームなんだなということです。
私が国内外のサッカーのほんの一部を体感して感じたことなので、あくまで傾向としてそんなこともあるかもねという感じで読んでいただければと思うのですが、日本はボールへの意識が強く、南米やヨーロッパは、ゴールへの意識が強いと感じました。
鬼木さんは、「日本人はボールと繋がろうとするけど、ブラジル人はゴールと繋がろうとする」と言っていたのですが、まさにそういうことなんだろうなと。
田中碧選手もインタビューで興味深いことを言っていました。
「日本だと“上手い”がピラミッドの一番上に来て、その下に“速い”とか“強い”とか、そういう武器が来るけど、欧州では“上手い”というのはそこまで求められていないというか、“上手い”も“速い”とか“強い”とか“1対1が強い”とか“点が取れる”とかと横一線」https://t.co/gvBzcpYXq7
— Kei Imai (@Keivivito) 2021年7月7日
日本は、ゴール、勝利よりも技術や形をとても大切する傾向があると思います。
だから練習でもボールを上手く回すための練習になってしまったり、技術を磨くための練習になってしまったりしがちなのかもしれません。そこに勝利するためという意識が希薄になってしまっているような感じがします。
日本は”上手いこと”が過剰に評価されているというのも、なんとなく理解できます。
ただ一つだけ言えるのは、本当に強いチームは、勝利、ゴールへの意識が圧倒的に強いということです。例外なく。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…