大人になってから学ぶサッカーの本質とは

日本にいながら外国人リーグでプレーする私の目から見るサッカーの本質とは… 元サッカー選手、元サッカーコーチ、中南米放浪サッカー経験者として好き勝手語らせて頂きやす

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サッカーは”考える”よりも”感じる”ことを養うことが何より大切だと思う

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型にハメたがる大人が子供の判断を奪う

育成年代のサッカーの風景を眺めていて時々とてつもない違和感というか不快感を覚えることがある。

サッカーとは常にピッチにいる自分がどこにいるべきか見て考え、どこにボールをトラップするか見て考え、どこにパスするか見て考え、どこにドリブルすべきか見て考えなければならない。しかし、多くの大人は大人が考える型にハメたがる。サッカーはこういうもんだぞ!と教えたがる。もっとあーしろ、こーしろと。結局子供の判断ではなく大人の判断で子供はプレーする。

 

”考える”前に”感じる”ことを養うことこそ何より大切

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サッカーは教えるものではないということです。サッカーでまず一番重要なのは”考える”前に”感じる”ことであり、そのなにかを”感じる”感覚を失った時点で一つの重要な”なにか”は失われる。多くの大人は無自覚にその大事な”なにか”を失わせていることに気付いていない。人間は美しい動きに魅了され見て真似る。真似ることによって身体の動かし方に独自性が出てくる。その独自性がいつのまにか個性になる。その感覚は誰かに教わるものではないということ。サッカーではまずこの感覚を養うことがなにより大切だと思う。

 

”教える”ことより勝手に育つ環境作りが大事

育成年代において子供が”考える”ことはとてもとても重要である。問題なのは大人が”考える”機会を奪ってしまっている現実だと思う。子供に考えさせて下さい。っていうと「自分で考えろ!」って子供に向かって言う人がいるけれどもそれはなんの意味もなさない。我々大人ができることは良い環境を作ることしかない。というかそれだけで良い気がしている。良い環境とは子供が自然に頭を使って考える場の提供だ。究極を言えば好奇心を刺激してライバルが存在する環境を提供するだけだ。それだけで勝手に伸びる。もっと巧くなりたいから”考える”。もっと巧くなったら楽しいから”考える”。相手に勝つために”考える”。育成年代でやるべきことは本当はものすごくシンプルなんじゃないかと思う。

 

”感じる”ことは”考える”ことを凌駕する

ボールを動かす感覚と身体を動かす感覚がベースにないと良い表現はできない。

ボールと相手を感じながら、試合のゲーム展開、ピッチ内外の空気を感じながらプレーしていくのがサッカーだ。究極的にサッカーは”考える”時間より”感じる”時間の方が圧倒的に長い。言葉にできない空気を感じ、試合の流れを感じ、やり方を柔軟に変えていくのがサッカーである。本当は考える訓練なんていらない。”感じる”ことの方が圧倒的に大事だと思う。本当に”考える”訓練が必要なのはサッカーを指導する大人の側にしかないような気がする。子供が”考える”場面というのは相手を打ち負かす為にどうするかをチームのみんなで”創作””創造”して表現する過程にあるのだと思う。

 

人間は他人に何事も教えることはできない

 

僕たち大人は好奇心を刺激したり、熱く燃え上がるような火をつけてあげる環境がなにより大事でサッカーを教えることなんてほとんどない。ジダンマラドーナもメッシも何億回というボールタッチを繰り返し、身体の感覚を養い、ピッチで最高の気分を得る為に自分を磨き抜いた結果でしかない。

 

 サッカーは最高に楽しいということ

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子供に強制や矯正することを強いる大人が多すぎる。サッカーを通じて社会の厳しさを伝えることが大事なことだなんて言っている人に会ったことがあるが、それはサッカーや人間を冒涜していることに他ならない。

サッカーは最高に楽しい!試合で良いゴール決めた!嬉しい!最強のライバルに勝った!気持ち良い!たくさん練習したらこんなに巧くなった!

サッカーやってたら外国人と仲良くなった。サッカーやってたら彼女ができた。サッカーやってたらこんなに友達ができた。サッカー超楽しい!!

 

そういう感覚を持った人とたくさん繋がりたいし増やしたいと思っています。

 

サッカーを追求する旅は続く