東京国際ユースサッカー大会
コリンチャンス対ヴェルディ
開始15秒でコリンチャンス先制。
まるで狩猟とスポーツ。 pic.twitter.com/RUeQvOXn5D
— KEI 創作の9月 (@Keivivito) May 2, 2015
先日、駒沢公園で行われた東京国際ユース(U-14)サッカー大会を二日間観戦してきました。
観戦した試合は以下のとうり
一日目
①ボカジュニアーズ(アルゼンチン) ー 東京トレセン選抜
二日目
①ボカジュニアーズ(アルゼンチン) ー カイロ(エジプト)
②コリンチャンス(ブラジル) ー ソウル(韓国)
14歳以下の世界のトップレベルをこの目で見る絶好のチャンスを逃したくなかったし、このジュニアユース年代の世界基準を知りたかった。試合を観て感じたことをまとめてみます。
戦いの本能、野生の感覚が違う
まず日本のチームと海外のチームの一番わかりやすい違いは、体格、身体能力です。センターバックの体格が特に共通して日本を凌駕していた。そしてボールがない時、相手からボールを奪いに行く様はまるで『狩り』だった。なにがなんでもボールを奪い取るという気持ちが伝わるし迫力がすごかった。簡単に言うとプレッシャーの強さなんだよね。ボカと対戦した東京選抜の選手達もコリンチャンスと対戦した東京ヴェルディの選手達も激しいプレッシングにゴールまで辿り着くことができなかった。体格や身体能力も違うけれど本質的には戦う本能だとか野生の感覚が違うような気がした。サッカーというものの捉え方が違うのかもしれない。
後半コリンチャンスの選手がヴェルディの選手を反則してレッドカードで退場に。しかし、納得のいかない選手は審判に喰い下がり退場しない。ピッチから去ろうとしない。我の強さ、自己主張がハンパない。日本ならいくら上手くても大人に潰される。 pic.twitter.com/9cn2fLQDEe
— KEI 創作の9月 (@Keivivito) May 2, 2015
ありのままの感情表現
コリンチャンスと東京ヴェルディの試合を観ていた時にすごく感じたことがあった。コリンチャンスの選手がボールを奪いに行った時にヴェルディの選手の足を蹴って退場が命じられた場面。判定に納得いかない選手は審判に抗議して、抗議して、抗議して決して自分から退場しようとしない。2分くらい審判と悶着した後に味方選手に説得されて結局退場したんだけれど、最後は泣いていた。いや、人目も気にせず泣きじゃくっているように見えた。ああいう感情表現は日本人はなかなかできないなと思った。
個人戦術が洗練されている
準決勝のボカジュニアーズ対カイロの試合。試合前にボカに精通するあの亘さんから「ボカは国内でリーグ戦があるから今年は2軍なんだよ」とプチ情報を頂いていただけに弱かったら残念だな、なんて思ってたけど、全然巧いし強い。カイロはすごい個性が揃っていて中学生とは思えない体つきをした屈強なディフェンダーやメチャメチャ足が速くて巧いドリブラーや抜群のテクニックのある司令塔がいたりと飛び抜けた個性が輝くチームだった。でもボカはみんなサッカーが巧い。洗練された個人戦術というか、この年代でここまでサッカー脳のレベルが高いことに驚いた。相手のストロングポイントを消す術が抜群に巧い。相手との間合いや駆け引きで相手の長所を消して主導権を握っていく。サッカーはこうやってやるんだぜ!と苛立つ相手をあざ笑うかのように試合をコントロールしていた。
ところが試合終了間際にカイロのフォワードがドリブルでペナルティエリアに切り込んだ時にボカの選手が倒してPKに、それが決まってまさかのPK戦。
自分を表現する力
PKの結果は写真のとうり。カイロが接戦をモノにした。
大会を通じて感じたことがある。日本と海外のトップクラブの一番の違いは”自分を表現する力”なんだと思った。日本のサッカーのレベルも確かに上がったし一人一人は巧い。でも決定的ななにかが足りない。ずば抜けた身体能力やテクニックは本当はそこまで差としてはないように感じた。サッカーにおいて一番大事なのは自分の内のどこかにある形のない気持ちや想いをサッカーで表現する術に長けていることなんじゃないかと思った。
他人と違って良いということを大人が示す必要がある
日本という国、社会は周囲の人と同じことが正解だと強く思い込まされているような気がする。しかし、みんなと同じであることが正しいという同調圧力は個人の可能性を喪失させる側面がある気がするし、みんなと違うことに勝機があると気付きにくいことは損失だなぁと個性が輝くユース年代の子供たちを見て改めて強く感じた。
サッカーで世の中に認められる存在になるには他人を圧倒する何かがないといけないのにもかかわらず、みんなと同じ様にルールを守ることに必死になる風潮には違和感を感じてしまう。他人と違う自分の個性を表現することがナンボであるというスタンスのコリンチャンスやボカの子供たちを観ていてスゴく自然体だなぁと思った。
彼らはサッカーで生きていくために命をかけていて、いかに他人と違う表現ができるかで将来が決まるかわかっているんだよね。
はみ出し者を罵倒する連中も、とことんはみ出して成功を掴み取る人間を崇拝する。人間なんてそんなもの。他人と比べたり他人の目を気にする事ほど愚かな事はないという事。 pic.twitter.com/PQbWZtahg9
— KEI 創作の9月 (@Keivivito) April 27, 2015
大事なのは”他人と違って良いんだよ”と言える大人が増えていくことなのかなあと思いました。
サッカーを探求する旅は続く