子供の頃からマラドーナのビデオはたくさん見てきたけれど、見たことがない映像が収録されており、思わず見入ってしまった。
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私は子供の頃、初めてマラドーナを見たときから、彼のボールとの一体感というか、ボールフィーリングがとても好きでビデオを見るたびに公園でマラドーナの感覚に近づくべくボールと戯れた。
他の選手とは圧倒的に違うリズム、独特の感覚に惹かれてしまった。
マラドーナのボールフィーリング
当時、こんなボールタッチをする人間はマラドーナの他にいなかった。
リフティングが上手い選手はいたし、フリースタイルのようなリフティングの映像は当時からいくつかあったけれど、このマラドーナの独特のボールフィーリングは「上手い」を超越した何かを感じさせてくれた。
マラドーナのタッチは真似ができないものだ。
フリースタイル的な小技は練習すれば身につくけれど、マラドーナのタッチは再現することが難しい。この独特のリズム、独特の感覚は唯一無二なのだ。
サッカーは一人ひとり異なる個性が集まって表現される芸術作品
サッカーは一人ひとり異なる個性が集まってチームという運動体になる。
サッカーで大切なのは「人とは違うこと」なのです。
海外では「人はそれぞれ異なる個性を持っている」ことが当たり前にあるけれど、日本はそうじゃない。
出る杭は打たれるのが日本社会であり、みんなと一緒じゃないと仲間外れにされてしまうのが日本社会なのです。
「みんなと一緒はダサい」という感覚を持つことから始まる
だからこそこう言わなければなりません。
みんなと一緒じゃなくてもいいんだよと。人と同じことができなくて当たり前、誰かの得意と自分の得意は違うんだよ。だから人は助け合い、補い合う必要があるんだよ。
そんな当たり前のことを大人にも言わなければならないのが日本なのです。
世界屈指の自殺大国と言われる所以はこの同調圧力社会によるものだ。
サッカーは人生で大切なことを教えてくれました。
マラドーナは私に独特であることの魅力を教えてくれました。
みんなと一緒じゃなくて良いということを、その圧倒的に独特なプレーで教えてくれました。
サッカーで大切なのは「人とは違うこと」なのです。
それは人生も同じなのです。
「みんなと一緒であること」を強要する社会はダサい。
だからこそ常識は疑わなければならないのです。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…
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