小学生の頃、近所の公園でよく集まってサッカーをしていました。
夕方になると、大学生くらいのお兄さんたちがボールを蹴りにくるようになりました。
いつの日か、僕たちがトリカゴやミニゲームをしていると、声をかけてきました。
「ちょっと一緒にやらない?俺たちと試合しようよ」と。
僕たちは、当時下手な大学生なんかに負けない自信もあって、そのお兄さんたちと試合することにしました。
サッカーを久しぶりにやるようなボール操作もぎこちないお兄さんたちは、僕らのいい遊び相手になってくれました。あまり上手くなかったけれど、一生懸命相手してくれて、体がでかいし強いから、フェイントで上手くかわす練習になったし、なによりジュースやお菓子を賭けて試合をするのは本当に楽しかったんです。
毎週一緒にミニゲームをするようになったのですが、僕らの方が勝率がかなり高かったこともあって、ある日、助っ人を連れてきました。
現役の大学サッカー部が二人。(どこの大学だったんだろう…)
やはり、上手くて速くて、これまでよりもかなり本気モードで接戦になっていきました、勝ったり負けたりになって、僕らも助っ人を連れて行くようになりました。
当時、いまはなきフリューゲルスにスカウトされた一つ上の先輩や、地区選抜のチームメイトも呼んで、バチバチのミニゲームが毎週開催されるようになりました。
だんだん人数も増え、レベルも明確に二分するようになったので、ガチンコチームと遊びチームに分かれて試合をするようになりました。
あの頃、本当に毎週楽しくて、大学生が卒業して来なくなるまで2年くらい続いていたように思います。
何が良かったって、あの大学生たちが僕らを相手に本気で楽しんでたことなんです。
僕らの為に相手をしてあげるんじゃなくて、自分達がサッカー上手い小学生相手ならちょうど楽しめると思って、声をかけて遊び始めたというところがすごく良かったなと思うんです。
そして数年後、僕が中学生くらいになった時に、あの時一緒にサッカーをした大学生だった人がフラッとその公園に寄ってくれたんです。
「久しぶり。元気?サッカーしてる?どこでやってる?楽しんでる?」
そんな何気ない会話をして、なんだか嬉しそうに帰って行った記憶があります。
サッカーを通じて、知らない大人と交流する原体験が僕の中にはあります。
そんな経験があるからこそ、自分が高校生になっても、大学生になっても、大人になっても公園でサッカーしている子供がいたら声をかけて一緒に蹴るというのが自然にできるんだと思うんです。
これは、誰かに教わったわけじゃないんです。日常で自然に育まれていくものであった気がします。そしてこのようなコミュニケーションが実は人生において、とても大切なのではないかと思います。
現在は、昔よりもサッカーができる公園が少なくなってきています。
また、大人の管理下じゃないと遊べない、サッカーができない環境がほとんどです。
コート代を払わないとサッカーできない、クラブに所属しないとサッカーができない。
つまり自由にサッカーがしにくい環境なんです。大人が管理しすぎると、フラッときて知らない大人と子供がサッカーするなんてできないと思うんです。
管理側がそういう設計を作ることはできるかもしれません。個人参加フットサルで大人も子供もごちゃ混ぜみたいなものは。
でも、そのように作られた枠組みではなく、自然にそのような出会い、コミュニケーションが発生する場所が必要なのではないかと思うんです。
サッカーの面白いところ、人生の面白いところは予定にはない、偶発的な出会い、そこからの思いもよらない発展だと思うんです。
それが、圧倒的に失われてしまったように思います。
サッカー文化ってこういうところからなのではないかと思うんです。
さて、この記憶を呼び起こしてくれた記事を紹介させてください。
福岡の糸島でサッカーコーチをしている有坂さんのnoteです↓
お母さんの話しによると
『エリア伊都』小学3年生の " しりゅう " は
こんな感じのサッカー小僧なんだそう。
「 あの子、休みの日も
近くの公園でサッカーしてるんですけど
いつの間にか知らないお兄さんとか
おじさんとかと仲良くなって
一緒に試合してるんですよ。
で、その人たちのことを聞いてみたら
" 名前はよく知らないんだよね " って(笑)」
そんな中南米的サッカー小僧のしりゅうは
月曜日の自主練にも毎回来ていて
上の学年に混ざって試合をしていたり
ゴールに向かってひたすらシュートを打っていたり
コーンやマーカーを並べてドリブルをしていたり。あれは、まだ暑くなる前の自主練でのことでした。
自分がグラウンドに着くと
ボールを抱えたしりゅうが笑顔でこんな話しを。
「 ねえねえ、コーチ!
シュート打ったらボールがパンクした〜 」
パンクの理由は
しりゅうがタイガーショットを打ったからではなく
ボールの寿命によるもの。めちゃめちゃ感動してしまいました。
そのボールには
しりゅうと一緒に過ごしてきた時間が
老犬の毛並みのように刻まれていたから。ボールは本当に嬉しかっただろうなぁ。
この終わり方は本望だったろうなぁ。