今日ご紹介するのは、先日ご紹介したアドラー心理学「嫌われる勇気」の続編となる「幸せになる勇気」です。
指導者の怒号は人間としての未熟さ
息子が小学生の時のことです。
練習試合中、グラウンドには相手チームの指導者の怒号が響いていました。
「お前の性格が曲がってるからボールが曲がるんだよ!」
「お前なんか一生レギュラーになれねーよ」
「サッカーのセンスねぇんだよ!!」
呪いのような言葉が並びます。
戸惑い、ビクビクした子どもたちの表情。
「もう怒られたくない」という動機づけから子どもたちが選ぶプレーは、指導者の望む「怒られないプレー」です。
そこには、子どもらしさも、サッカーのワクワクも、美しさもありませんでした。
この本のなかの、もっとも印象深い、痛烈な言葉が思い出されました。
「叱責を含む『暴力』は人間としての未熟さを露呈するコミュニケーションである
子どもへの叱責。
あんな言い方しなくてもよかった……
そう思うことはありませんか?
何を言われても子どもたちはぐっと我慢します。
愛情があるがゆえの、子どもたちのことを思っての言葉なのでしょうか。
でも、上司や同僚、友人には、そんな言い方はしないはず。この子達には言ってもいい、と自分で自分に許可を出しているんです。
大人は子どもの優しさに甘えているのかもしれません。
子どもたちのセルフイメージを高められる大人が必要です
また、「叱る」と「怒る」について、
アドラー心理学ではこのように考えます。
『怒っているのではなく叱っている。』そう弁明する大人は大勢いる。しかし、力の行使によって相手を抑えてつけているという事実にはなんら変わりはない。むしろ『私はいいことをしている』という意識があるぶん悪質だとさえいえる。
とても考えさせられる言葉です。
さらに、この本の著者である岸見さんは、このように述べていました。
「怒るのと叱るのは違う」と言う人もいますが、実際には、怒りの感情なしに叱ることができるほど人間は器用ではありません。叱るのではなく、責任をとることが重要です。⠀
子どもたちは大人にかけられる言葉でセルフイメージを作っていきます。
センスのない選手だね、ダメな子だねという言葉のおそろしさはそこにあります。
子どもたちの心を傷つけ、自尊心を奪う言葉を大人は簡単に選ばないでほしい。
期待は人を成長させます。
期待と尊敬が溢れる選手への言葉がけがふえることを願っています。