元サッカー日本代表監督、イビチャ・オシムさんの著書「考えよ」より引用。
私が感じる限り、日本人には教師や上司の教えを疑うことなく守り、秩序を乱さない者が最も優秀であるという特有の価値観が備わっているようだ。
タイムアウトなど取れないサッカーにおいては「何をどうすればいいか」を、その置かれた局面ごとに自分で考えプレーする。それは人生に似ている。
まずは自分のやり方でやってみる。こういう自己の意思力が重要なのだ。しかし、日本では子供の頃から他人に自らの進む道を依存する傾向が見られる。この時点で、すでにクリエイティビティを放棄し、誰かのコントロールに意思を委ねているのだ。
日本人は、他人がやることや新しいトレンドに従うことにおいて、とても勤勉で規律正しい。しかし、彼らは、若い人たちをコントロールしすぎる。全てを支配することはできないのだ。子供たちが、自分の頭で考えるため、そういう思考を自然に発達させてあげなければいけない。この時期が子供にとって一番大切なのである。
子供を教えたがる大人
育成年代の現場を長年見てきて感じる違和感の一つに、教えたがりの大人の存在があります。これは指導者に限らず、保護者にも感じることです。親が熱心に指導に介入する場面を度々目にします。
休日、公園で熱心に子供に指導をする親の姿を目にします。微笑ましい光景であることも当然ありますが、熱心な指導を飛び越えてしまっているなと感じることの方が多いかもしれません。
ドリブルの仕方、パスの仕方、フォームについて、細かく指導するシーンを見ると、う〜ん、ちょっとやりすぎなのではないかなと感じてしまいます。
本来サッカーは教わるというより、遊びながら学習していくものです。遊びの要素がないことにも違和感を感じますが、教えすぎていることにも違和感を感じます。
創造性、クリエイティビティは子供自ら見出すもの
オシムさんの言う通り、創造性、クリエイティビティは子供が自ら見出すものです。コーチや親が介入しすぎると逆に失われてしまうわけです。
日本の教育文化がサッカーに多分に影響しているということです。
私たちは、治安が安定している日本という国に生まれ、秩序を乱すものを厳しく監視する社会のもとで育まれてきました。
つまり、サッカーで求められる要件である創造性よりもクリエイティビティよりも大事な価値観のもとに教育されてきたのかもしれません。
でも、だからこそ、サッカーというゲームの本質を理解して、子供たちに伝えていかなければならないのだと思います。
日本の素晴らしいところを残しつつ、創造性、クリエイティビティを育んでいくことができれば、もっと素晴らしいサッカー文化が育まれていくのではないかと思います。