日本では、首を振って周囲を見ていると、「よくまわりをみていますね」と褒められることが多い。
でも、首を振ることが目的になってしまい、肝心なものが見えていないことが多い。
風間氏は著書の中で、「首を振ることと、大事なものが見えていることは別問題」と指摘する。
「相手の選手をぼやっと見ているのと、体の細部まで見えているのとでは、まったく違う。たとえば味方をマークしている選手が、かかとを上げた瞬間まで見ることができるか。その上げた足元のぎりぎりにパスを出しても、相手は重心の逆を取られているので防ぐことができない。本物の優れた目を持った選手というのは、ぱっと見ただけで、20、30メートル先のディティールまで読み取ることができる。あの相手のすぐ上にボールを出したら、パスが抜けるぞ、とか。そういうディティールが見える人間だけが、首を振ったときに意味が出る。誰もがそういう目を持っているわけではないんです」
筆者は、大学時代(桐蔭横浜大学サッカー部)に風間氏の指導を受けているのだが、当時、トレーニングの中で頻繁に指摘されていたことの一つがこれだ。
「なぜ、見るのか。なにを見るために首を振るのか、考えろ」と。
チームには大学生ながら、元プロサッカー選手や海外でプレーしていた選手、Jの下部組織でプレーしていた選手もいて、みんな首を振りながらプレーすることができるわけですが、それでも「見えている選手と、見えていない選手」がいるとよく話をしてくれました。詳細は概ね上記で紹介した通り、ディティールをいかに見るかということなのですが、ポジションや目的によって見るポイントや見方が異なるという細かい部分まで指導していました。
もう一つ大学時代のエピソードを思い出したので、書いておきたい。
チームメイトに現在ドリブルデザイナーとして活動している岡部将和がいました。彼とは同期でよく一緒に練習したのですが、彼は特に「見る」ことにこだわっていました。
ドリブルへの好奇心は凄まじく、よくクタクタになるまで練習相手になっていたのですが、彼はドリブルしながらなにを見るか、なにが見えている必要があるか、というのを当時からこだわってプレーしていました。
そして私自身、彼に「見ること」に関して、たくさんのアドバイスをもらったのを覚えています。
サッカーにおいて「見る」ことはとても重要で、奥深い行為なのです。